追悼の森 =青木雄二さん死去=

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漫画家、エッセイスト  青木雄二 さん死去

2003年(平成15年)9月5日 死去 享年58歳

青木雄二写真  

漫画家、エッセイスト  青木雄二 さん死去

金融界の裏側を赤裸々に描いた漫画「ナニワ金融道」の作者として知られた 青木 雄二( あおき ゆうじ)さんが2003年(平成15年)9月5日午前2時12分、肺がんのため兵庫県神戸市中央区の市立中央市民病院で死去した。58歳だった。

今年5月に癌(がん)が見つかり入退院を繰り返していたという。「ナニワ金融道」連載終了後に漫画家廃業を宣言し、エッセイストに転じていた。葬儀は8日、神戸市西区美賀多台の平安祭典西神会館。喪主は妻の若代(わかよ)さん。

人物 / 略歴

青木 雄二(あおき ゆうじ、1945年6月9日 ~ 2003年9月5日)

岡山県久米郡出身。(生まれは、京都府加佐郡大江町(現:福知山市))。漫画家、エッセイスト。

◆ 略 歴

1964年、岡山県立津山工業高校土木科を卒業。

卒業後、神戸市の山陽電気鉄道に入社。

1969年、山陽電気鉄道を退社。地元岡山県に戻り久米南町役場の職員になるが、結局田舎での生活に嫌気がさし、3ヶ月で退職。

大阪に出てビア・ホールでアルバイトを始める。その後はパチンコ店の店員やキャバレーのボーイ等の水商売を中心に約30種類以上の職を転々とした。

この経験が漫画を描く上で大いに参考になったという。本人によると一番楽だった仕事は公務員で、一番つらかった仕事はパチンコ店の店員だったとのことである。

1995年、19歳年下の女性と結婚。妻とは行きつけの喫茶店で知り合い、男児をもうけている。ちなみに青木自身は50回以上のお見合いを経験した。

1997年3月、『ナニワ金融道』の売上が1000万部を突破し、「一生暮らせるだけの金は稼いだ、残りの人生は遊んで暮らす」と宣言。

漫画執筆活動を引退し、余生を自由気ままに過ごす予定だったが、活字の執筆や公演依頼が多く、それなりに忙しかった。

その模様をTBS・JNN報道特集に「ナニワ金融道 青木雄二の素顔」として密着取材され、青木の数少ない映像記録となった。

2003年9月5日午前2時12分、肺がんのため神戸市中央区の市立中央市民病院で死去した。58歳没。

特記事項

◆ 青木雄二 / 執筆活動

1970年に「屋台」がビッグコミック新人賞佳作に入選。

1975年に独立してデザイン会社「青木デザイン」を起業する。経営は順調に思えたが、次第に状況が悪化して借金を背負い、1983年倒産。

1989年、「50億円の約束手形」でアフタヌーン四季賞佳作に入選、1990年に「彼岸と此岸の間で」で準入選を受賞し、同年に代表作の「ナニワ金融道」(週刊モーニング)で漫画家として45歳でデビューした、遅咲きの漫画家であった。

契約書の一字一字や畳の目の一本一本を描き込むなど、緻密な描き込みをポリシーとしていた。そのため、腱鞘炎になってしまい、『ナニ金』の連載終了とともに漫画家を引退したのはこのことによる過労のためとも言われる。

漫画家引退後は朝日新聞夕刊にコラム「ナニワ資本論」を連載していた。イラストも自らが描いていた。

◆ 青木雄二 / 受賞歴

◇ 1970年度 - ビッグコミック新人賞佳作
◇ 1989年度 - アフタヌーン四季賞佳作
◇ 1992年度 - 第16回講談社漫画賞
◇ 1998年度 - 第2回手塚治虫文化賞優秀賞受賞

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