追悼の森 =白井義男さん死去=

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元プロボクサー  白井義男 さん死去

2003年(平成15年)12月26日 死去 享年80歳

白井義男写写真  白井義男訃報

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元プロボクサー  白井義男 さん死去

プロボクシングで日本人初の世界王者となった 白井 義男(しらい よしお)さんが2003年(平成15年)12月26日、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。80歳だった。

1952年(昭和27年)5月19日、世界フライ級タイトルマッチで ダド・マリノ(米国)に判定勝ち世界王座を奪取し、終戦後の日本国民に夢と感動を与えた。葬儀、告別式は行わず自宅で密葬を営む。追悼礼拝式を来年1月14日、東京都港区芝公園の聖アンデレ教会。喪主は妻の登志子(としこ)さん。

人物 / 略歴

白井 義男(しらい よしお、1923年11月23日 ~ 2003年12月26日)

東京市(現:東京都)荒川区出身。元プロボクサー。

元世界フライ級王者である。日本人として初めての世界王者となった。右のアウトボクサー。

◆ 略 歴

小学6年生時の夜祭りの余興で行ったカンガルーとのボクシングに負けて以後、ボクシングにのめり込んだという。

プロデビューは戦時下の1943年。

8戦全勝の成績を残すが招集されて海軍に従軍し、整備士として終戦を迎える。

復員後、ジムに出入りしていたGHQ職員の生物学者アルビン・R・カーンに見出され、全面的な支援の元にその素質を開花させていくことになる。

カーンの指導の下、その後試合を重ね、1952年にダド・マリノ(アメリカ)との世界タイトルマッチに勝利し王座を獲得。以後4度の防衛を果たすこととなった。

敗戦に打ちひしがれた日本人にとって白井の活躍は「希望の光」であり、その功績は計り知れない。

2003年12月26日、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。享年80歳。

◆ 白井義男 / 主な戦績

◇ 1943年11月26日、プロデビュー。デビュー以来8戦全勝の成績を残すが、1944年海軍に召集。1945年復員。
◇ 1946年8月、現役復帰戦となるノンタイトル6回戦に判定勝ち。
◇ 1948年7月30日、石森信之に2回KO勝ち。カーンと組んでから初試合・初勝利を果たした。
◇ 1949年1月28日、日本フライ級王座に挑戦。花田陽一郎に5回KO勝ちし王座獲得。以後3度防衛を果たした。
◇ 1949年12月15日、日本バンタム級王座に挑戦。堀口宏に10回判定勝ちし王座獲得。
◇ 1951年5月21日、ノンタイトル10回戦で現役世界王者ダド・マリノに判定負け。
◇ 1951年12月4日、ノンタイトル10回戦でダド・マリノに今度は7回TKO勝ち。
◇ 1952年5月19日、世界フライ級王座に挑戦。ここまで1勝1敗の王者マリノに15回判定勝ちし王座獲得。以後4度防衛を果たした。
◇ 1952年11月15日、世界王座初防衛戦でマリノとの4度目の対戦となったが15回判定勝ちし決着をつける。
◇ 1954年11月26日、パスカル・ペレス(アルゼンチン)に15回判定負けし王座陥落。
◇ 1955年5月30日、世界王座再挑戦。ペレスとのリターンマッチに5回KOで敗れ、現役引退。

特記事項

1949年12月15日、日本バンタム級王座を獲得。フライ級と合わせ2王座を同時保有した。以後、2度防衛を果たした。

1955年5月30日の世界王座再挑戦したペレスとのリターンマッチの中継は、最高視聴率96%を記録した。この数字は2009年4月現在のテレビ放送視聴率の中で最高である。試合は5回KOで敗れ、その後、現役を引退した。

◆ 白井義男 / 賞 詞

◇ 勲四等旭日小綬章
◇ 文部省文化功労者

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