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第70代 内閣総理大臣  鈴木善幸 さん死去

2004年(平成16年)7月19日 死去 享年93歳

鈴木善幸写真  

第70代 内閣総理大臣  鈴木善幸 さん死去

第70代 内閣総理大臣 鈴木 善幸(すずき ぜんこう)元首相が2004年(平成16年)7月19日午後9時15分、肺炎のため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。93歳だった。

1980年(昭和55年)6月、大平正芳首相が急逝したことを受け、同年7月、第70代内閣総理大臣に就任した。「和の政治」「話し合いの政治」を掲げて党内融和に尽くした。密葬は22日、東京都港区西麻布の長谷寺。喪主は長男の俊一さん。自民党は別に党葬を予定している。

人物 / 略歴

鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年(明治44年)1月11日 ~ 2004年(平成16年)7月19日)

岩手県下閉伊郡山田町に生まれる。政治家。位階勲等は正二位大勲位。

郵政大臣(第15代)、内閣官房長官(第26代)、厚生大臣(第43代)、自由民主党総務会会長(第15・17・23代)、農林大臣(第48代)、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)などを歴任した。

◆ 略 歴

岩手県下閉伊郡山田町のアワビ、スルメ漁などの水産加工業を営む網元の家に生まれる。

水産学校を経て水産講習所(後の東京水産大学・現東京海洋大学)に入学。

大日本水産会、全国漁業組合連合会、県漁業組合連合会などに勤務したのち、1947年(昭和22年)に日本社会党から第23回衆議院議員総選挙に出馬、初当選を果たす。

社会革新党を経て吉田茂率いる民主自由党に移り、以後保守政治家となる。池田勇人の宏池会に所属。

1960年第1次池田内閣の郵政大臣として初入閣。第3次池田内閣改造内閣では内閣官房長官に就任。その後、改造内閣では官房長官退任となった代わりとして厚生大臣に就任した。その後、福田赳夫内閣で農林大臣などを歴任。

党総務会長を10期務めるなど、裏方で力を発揮する調整型の政治家とみなされていた。

◆ 大平の急死

1980年(昭和55年)5月、大平正芳内閣不信任案が可決された。

大平首相はこれに対抗して衆議院を解散(ハプニング解散)することとし、参議院選挙の日程を繰り上げて、初の衆参同日選挙を行うことにした。

だが、大平は選挙戦突入の初日に心臓発作で倒れ、選挙戦中盤に死亡する展開となった。

選挙結果は、首相の憤死への同情から、衆参両院における自民の圧勝となる。

引き続き大平派から総裁を出すのが自然な流れとなり、首相臨時代理であった官房長官の伊東は「親友が亡くなったばかりなのに、とても首相になる気はしないよ」と固辞。結果として大平・田中連携の要の位置にあった鈴木が大平政権を継承する形で総理・総裁の座に就任することになった。

首相に選出された際、海外での知名度不足からアメリカのメディアに「ゼンコー フー?(Zenko who?)」と言われた。明治生まれとしては、最後の内閣総理大臣である。

◆ 鈴木政権

鈴木は「和の政治」をスローガンに掲げた。また、財政収支が悪化していた国庫財政を立て直すため、「増税なき財政再建」を掲げた。

全派閥を主流派入りさせた上で反執行派閥という存在を事実上無くし、自民党内で究極の「和の政治」を実現した。

行政改革方針は後の中曽根行革への道筋をつけることになった。

金権選挙の問題があった参議院の全国区選挙については拘束名簿式比例代表制に改めた。

また、現職の内閣総理大臣として初めて北方領土と、復帰後の沖縄を視察した。

首相就任以来、一部マスコミからは直角内閣、暗愚の宰相と揶揄されていた。

1982年(昭和57年)の総裁選で再選されれば長期政権も視野に入っていたが、同年10月に至って突然総裁選不出馬を表明。首相在任記録は864日間で、首相在任中に大型国政選挙を経験していない首相としては日本国憲法下では最長記録である。

後継の中曽根内閣では、日米軍事同盟路線を強調し日米関係修復に努める一方で、鈴木の党内融和と行政改革推進の方針は継承され、鈴木の「和の政治」は、鈴木退陣後の自民党内抗争にも大きな影響を与えた。

◆ 晩 年

内閣退陣後も当面宏池会の会長を務めたが、会長職を宮澤喜一に禅譲する。1990年(平成2年)、政界引退。

1992年(平成4年)2月、共和汚職事件に絡み国会の衆議院予算委員会に参考人招致された際に「カネは善意の保管者として預かった」などと発言し、物議をかもした。

2002年(平成14年)9月30日、長男の衆議院議員・鈴木俊一が第1次小泉改造内閣で環境大臣として入閣した。91歳の善幸はテレビカメラの前で自宅の炬燵にあたり、寝ころんでテレビの報道を見ながら「大臣になってうれしいよ」と語った。

2004年(平成16年)7月19日午後9時15分、肺炎のため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。享年93歳。

特記事項

没後、正二位 大勲位菊花大綬章。

三女の千賀子は麻生太郎に嫁いだ。

◆ 鈴木善幸 / 著書

◇ 『伊谷以知二郎伝』(大日本水産会、1939年)
※ なおこの著作は直木賞作家の綱淵謙錠、日本現代詩歌文学館館長太田俊穂らが高く評価している。

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