追悼の森 =田原節子さん死去=

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随筆家、田原総一朗の妻  田原節子 さん死去

2004年(平成16年)8月13日 死去 享年67歳

田原節子写真  田原節子訃報

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随筆家、田原総一朗の妻  田原節子 さん死去

ジャーナリスト田原総一朗さんの妻で、元アナウンサーの 田原 節子(たはら せつこ)さんが2004年(平成16年)8月13日、多臓器不全のため東京都中央区内の病院で死去した。67歳だった。

1998年(平成10年)10月に炎症性乳がんを発症。余命6ヵ月の宣告を受けた。その後、再発転移を繰り返し、抗がん剤治療を行いながら6年近く生存。その間、乳がんを中心に医療、女性問題などに関する執筆講演活動を活発に行っていた。この間のことは田原総一朗との共著「私たちの愛」に詳しい。

人物 / 略歴

田原 節子(たはら せつこ、1936年 ~ 2004年8月13日 )

東京都に生まれる。旧姓は村上 節子。アナウンサー、随筆家。

田原総一朗の2番目の妻。ウーマンリブ運動家でもあった。

◆ 略 歴

早稲田大学文学部卒業。

卒業後、日本テレビに入社。アナウンサーとして17年間、CMプロデューサーとして10年間の勤務後、退社。その間に結婚、出産を経験。

結婚、出産後に局より「容色が衰えた」としてアナウンサーからの配置転換命令を受けたものの納得できずに提訴、勝訴する。

総一朗との共著『私たちの愛』(講談社)によれば局内ではもともとウーマンリブに関わっていた事が問題となっていたらしい。

CM制作部に移籍後はプロデューサーとして活躍するが、その間1980年代に作った「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」のコピーは有名になる。

次女の江川綾子によれば、節子は「何でも手当たり次第に読みたがり、めいっぱい知りたがり、心から出会いを喜び、不条理に対してはとことん怒りまくる。そんなよく笑い、よく怒る、生命力の塊のような面白い人」であったという。

田原総一朗とダブル不倫の末に田原の妻がガンで死去したあとの1989年に結婚。不倫当時はお互いの家庭を壊さないように関係を続けた。

1998年10月に炎症性乳がんを発症。余命6ヵ月の宣告を受ける。再発転移を繰り返し、抗がん剤治療を行いながら6年近く生存。

その間、乳がんを中心に医療、女性問題などに関する執筆講演活動を活発に行う。この間のことは田原総一朗との共著『私たちの愛』に詳しい。

2004年8月13日、多臓器不全のため東京都中央区内の病院で死去した。享年67歳。

夫である田原総一朗は、闘病中は献身的に節子に尽くし、「きみが人生のすべてだった」と言い切った。現在も遺骨を墓地に埋葬せず、自宅に保管している。

特記事項

元歌手の古賀さと子は実妹。

◆ 田原節子 / 著書

◇ 『私たちの愛』 講談社 2003年1月(田原総一郎共著)
◇ 『がんだから上手に生きる』 海竜社 2004年2月
◇ 『最期まで微笑みを』 講談社 2004年10月
◇ 『遺書 笑う乳がん闘病記』 集英社 2004年10月

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