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芸者歌手 豆千代 さん死去

2004年(平成16年)3月22日 死去 享年92歳

豆千代写真  

芸者歌手 豆千代 さん死去

美貌と美声で評判だった芸妓から歌手に転身し人気を博した 豆千代(まめちよ)さんが2004年(平成16年)3月22日、死去した。93歳だった。

芸者の小唄勝太郎の唄う「島の娘」のヒットによって旋風を起こした芸者歌手ブームで、コロムビアが白羽の矢を立てたのが、美貌と美声で評判だった芸妓の豆千代であった。1933年(昭和8年)、コロムビア専属となり「恋はひとすじ」で歌手デビュー。その後、「夕日は落ちて」が、折りしも満州国建国による大陸ブームの波に乗り大ヒット。時代に後押しされスター歌手の仲間入りを果たした。晩年は地元岐阜で歌手として活動していた。

人物 / 略歴

豆千代(まめちよ、1912年(明治45年)1月2日 ~ 2004年3月22日)

岐阜県武儀郡富之保村(現:関市)に生まれる。本名は福田八重子。昭和期の芸者、歌手。

◆ 略 歴

芸人にするために幼少から三味線・長唄を仕込まれ、小学校へ入学後は日舞、義太夫、常盤津などの芸事を習う。

大正13年(1924年)、13歳の時に地元の芸者置屋に入り花柳界入り。その後芸妓になる。

芸者の小唄勝太郎の唄う「島の娘」のヒットによって旋風を起こした鶯歌手(芸者歌手)ブームによって、二匹目の泥鰌を狙ったコロムビアレコードが白羽の矢を立てたのが、美貌と美声で評判だった芸妓の豆千代であった。

昭和8年(1933年)にコロムビア専属となり「恋はひとすじ」で歌手デビュー。

翌年には、当時の人気歌手・松平晃と歌った「曠野を行く」がヒット。さらに昭和10年(1935年)には、同じくデュエットを組んだ松平晃との共演による「夕日は落ちて」が、折りしも満州国建国による大陸ブームの波に乗り大ヒット。時代に後押しされスター歌手の仲間入りを果たす。

その後、「廻り燈篭」「貫一お宮」「浮名三味線(お初の唄)」と地道にヒットを続け、昭和17年(1942年)には「狸御殿シリーズ」の大映映画「歌う狸御殿」に出演し、高山広子の継母役を演じた。

この映画で豆千代に目を付けた大映の永田雅一は、映画界入りを勧めるが、「歌で食べられなくなったらお世話になります」ときっぱりと出演を断ったという逸話が残っている。

戦後、歌手としてはレコード会社に所属しなかったが、映画出演やステージに活躍する一方、とんかつ屋を経営するなど多才な面を見せた。昭和26年(1951年)、レコード製造を再開したタイヘイレコードと契約し専属となる。海外資本の参加により、社名がマーキュリーレコードとなっても活躍し、「そんなこと知らない」「雨の明石町」などがヒットした。

昭和40年代の懐メロブームにも時折登場し、「夕日は落ちて」や「浮名三味線」などを東京12チャンネルの音楽番組「なつかしの歌声」で披露している。

その頃、豆千代の歌手生活の集大成とも言うべきLPアルバム「明治一代女」が発売された。

晩年は、地元岐阜で歌手としても活動していたが、平成に入ってからNHKラジオ放送「歌謡大全集」に出演したのが、豆千代としての最期の輝きであった。

平成16年(2004年)3月22日没、93歳の天寿を全うした。

特記事項

故郷の岐阜の民謡や、端唄、小唄、明治大正の流行小唄なども盛んにレコーディングをしている。

◆ 豆千代 / 代表曲

◇ 「恋はひとすじ」
◇ 「曠野を行く」共演:松平晃
◇ 「夕日は落ちて」共演:松平晃
◇ 「風になよなよ」
◇ 「廻り燈篭」
◇ 「薄野」
◇ 「浮名三味線(お初の唄)」
◇ 「照る日くもる日」
◇ 「泣くなんて馬鹿よ」
◇ 「天龍しぶき」

◆ 豆千代 / 普及に努めた岐阜民謡

◇ 「郡上節」(郡上踊り「かわさき」)
◇ 「岐阜音頭(おばば)」
◇ 「どんどいつ」(根尾踊り「どどいつ」)
◇ 「ホッチョセ」
◇ 「高山音頭」

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