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大相撲 第42代横綱  鏡里 喜世治 さん死去

2004年(平成16年)2月29日 死去 享年80歳

鏡里 喜世治写真 

大相撲 第42代横綱  鏡里 喜世治 さん死去

大相撲の第42代横綱 鏡里(かがみさと)の奥山 喜世治(おくやま きよじ)さんが2004年(平成16年)2月29日午後1時27分、敗血症のため東京都墨田区内の病院で死去した。80歳だった。

1953年(昭和28年)、第42代横綱に推挙された。1958年(昭和33年)1月場所を最後に現役引退後は年寄鏡里、粂川(くめがわ)として日本相撲協会の発展に貢献した。故郷三戸町では青森県初の横綱として名誉町民となっていた。葬儀、告別式は親族のみで行う。

人物 / 略歴

鏡里 喜代治(かがみさと きよじ、1923年4月30日 ~ 2004年2月29日)

青森県三戸郡斗川村(現在の三戸郡三戸町)出身。 本名は奥山喜世治(おくやま きよじ)。大相撲第42代横綱。

時津風部屋(入門時は粂川部屋)所属の元大相撲力士。第42代横綱。現役時代の体格は身長176cm、体重165kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。

◆ 略 歴

農家の三男だったが早くに父親を亡くし、母親を手伝っていたが、巨躯を知った同郷の元大関鏡岩の粂川が勧誘し入門、1941年(昭和16年)1月場所で初土俵を踏んだ。

1949年(昭和24年)10月場所で東冨士から金星を挙げて恩を返す。この場所は前頭筆頭で12勝3敗、三賞制定後初の複数受賞(殊勲賞と敢闘賞)。

翌1950年1月場所から関脇。1951年(昭和26年)1月場所後に大関昇進。

1953年(昭和28年)1月場所で初優勝、場所後に横綱推挙が決まるが相撲協会が横綱審議委員会に諮問せず推挙したため、周囲からは時期尚早の声も出た。

1955年(昭和30年)9月場所、1956年(昭和31年)1月場所と連覇、同年9月場所にも優勝。

右四つ得意で相手を組み止めると太鼓腹を活かして技を封じるのが得意なため、当時の技能力士は彼に苦戦したという。

土俵入りは当然双葉山直伝だが、膝の故障の影響か師匠の再現とはいかなかった。だがその土俵入りは動く錦絵と呼ばれ人気は高かった。

1958年(昭和33年)1月場所、この時鏡里は「10番勝てなかったらやめる」と発言。

結局この場所は9勝6敗、周囲からはまだ取れるとの声も多かったが、本当に引退してしまった。

双葉山が亡くなると一時的に時津風を襲名したが、結局後継者争いに敗れ、立田山(元大内山)二十山(元青ノ里)ら年寄4名を連れて立田川部屋をスタートし独立、晩年に高道を関取に昇進させ部屋を消滅させることなく停年退職を迎えた。

停年退職後脳梗塞を患ったことがあるが、元力士にしてはかなりの長寿で80歳まで生きた。

2004年2月29日午後1時27分、敗血症のため東京都墨田区内の病院で死去した。享年80歳。

特記事項

横綱としては83歳まで生きた梅ヶ谷に次いで史上第2位(当時。その後若乃花が抜いたため現在は3位)である。

故郷の青森県三戸郡三戸町では青森県初の横綱としてss名誉町民となっていた。

◆ 鏡里 / 主な通算成績

◇ 通算成績:415勝189敗28休(50場所) 勝率.687
◇ 幕内成績:360勝163敗28休 勝率.688
◇ 横綱成績:199勝88敗28休 勝率.693
◇ 幕内在位:38場所
◇ 横綱在位:21場所
◇ 大関在位:6場所
◇ 三役在位:4場所(関脇4場所、小結なし)

◆ 鏡里 / 各段優勝

◇ 幕内最高優勝:4回(1953年1月場所、1955年9月場所、1956年1月場所、1956年9月場所)
◇ 三段目優勝:1回(1943年1月場所)
◇ 序二段優勝:1回(1942年1月場所)

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