追悼の森 =林裕章さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【は~ひ~ふ~へ~ほ】 著名人訃報一覧【は~ひ~ふ~へ~ほ】  著名人訃報一覧 2005年 著名人訃報一覧 Ver.1
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

吉本興業会長  林 裕章 さん死去

2005年(平成17年)1月3日 死去 享年62歳

林裕章写真  林裕章訃報

訃報サイト

吉本興業会長  林 裕章 さん死去

吉本興業会長の 林 裕章(はやし ひろあき)さんが2005年(平成17年)1月3日午後7時56分、肺小細胞がんのため大阪市北区内の病院で死去した。62歳だった。

1971年(昭和46年)、吉本興業創業者の故林正之助氏の娘 マサさんとの結婚(婿入り)を機に同社に入社。東京進出、海外公演など多角経営を展開した。2004年(平成16年)7月に体調不良に伴い社長を辞任し代表取締役会長に就いていた。葬儀は親族のみで行う。後日、東京、大阪の2カ所で「お別れ会」を開催する予定。

人物 / 略歴

林 裕章(はやし ひろあき、1942年9月3日 ~ 2005年1月3日)

兵庫県出身。旧姓は猿丸(さるまる)。実業家。

◆ 略 歴

父の猿丸吉左衛門は元芦屋市長、兵庫県議会議員。

大阪星光学院中学校、高等学校、同志社大学商学部卒業。大学時代はアメフトの選手であった。

卒業後繊維会社勤務を経て1971年吉本興業入社。

取締役制作部長、専務取締役を経て、1999年社長に就任。

2002年日本経済団体連合会に加入。2004年会長となる。

吉本興業の元会長・林正之助の娘婿。

取締役時代の1980年、東京に個人名義でマンションを借りて東京事務所を開設。東京進出の陣頭指揮をとり、部下だった木村政雄と大崎洋と共に漫才ブームの基礎を築いた。

その後、テレビ・ラジオ制作部長などを経て、1999年に当時の中邨秀雄社長が会長となった後を受け、社長に就任。

在任中は東京、大阪の二本社制をしき、本業のお笑いを重視。東京・新宿に常設劇場「ルミネtheよしもと」を開設。

また、「M-1グランプリ」の創設に寄与し、さらには海外進出にも意欲的で吉本新喜劇の海外公演などを手がけた。

2002年に吉本興業が日本経済団体連合会に加入。芸能事務所が財界の総本山に入ることは初のことである。

2003年に体調を崩した後は入退院を繰り返すようになり、2005年1月3日午後7時56分、肺小細胞がんのため大阪市北区内の病院で死去した。享年62歳。

特記事項

◆ 林 裕章 / 没後の騒動

2007年4月、夫人の林マサ(林正之助の長女、2009年10月27日逝去)が週刊新潮に吉本興業の内情を告発する手記を発表した。

逝去の際に中田カウスに「紳助を頼むぞ」と遺言したと言われているが、これはカウスが作った嘘だとマサは手記の中で主張している。また、カウスが暴力団の影響力をちらつかせて吉本興業の経営に関与しようとしたと主張しているが、吉本興業側はこれを否定し法的措置を検討している。

◆ A Related Words :
林裕章 中田カウス/林裕章氏//林裕章 死去/林裕章 吉本/林裕章 林マサ/林裕章 プロフィール/林裕章 略歴

Page Top

スマートフォン / PC サイト