追悼の森 =田中聖二さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【た~ち~つ~て~と】 著名人訃報一覧【た~ち~つ~て~と】  著名人訃報一覧 2005年 著名人訃報一覧 Ver.16
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

プロボクサー  田中聖二 さん死去

2005年(平成17年)4月15日 死去 享年28歳

田中聖二写真  田中聖二訃報

訃報サイト

プロボクサー  田中聖二 さん死去

大阪市のIMPホールで行われた 日本スーパー・フライ級タイトルマッチで10回TKO負けした後、意識不明に陥っていた前王者の 田中 聖二(たなか せいじ)さんが2005年(平成17年)4月15日午後8時43分、大阪市内の病院で死去した。28歳だった。

同月3日、大阪市のIMPホールで日本王座初防衛戦が開催された。6戦目の新鋭 名城信男と対戦した。試合終了後、控え室で頭痛を訴えた後、意識を失い救急搬送された。搬送先の病院で急性硬膜下血腫と診断され、7日に開頭手術を受けていた。

人物 / 略歴

田中 聖二(たなか せいじ、男性、1977年1月1日 ~ 2005年4月15日)

鳥取県鳥取市出身。プロボクサー。

第29代日本スーパーフライ級王者。金沢ボクシングジム所属。

◆ 略 歴

鳥取城北高等学校卒業。

高校時代は、野球部に所属。高校卒業後、プロボクサーを目指し単身大阪に渡り、金沢ジムに入門。

1997年7月31日、プロデビュー(4回判定勝ち)。

その後、7戦目まで6勝(1KO)1分という順調な成績を残すが、1998年11月9日に、後の日本ライトフライ級王者興梠貴之に6回判定負けで初黒星を喫したのを皮切りに3連敗。

その後は2分をはさみ5連勝するが、2001年11月2日には後のOPBF東洋太平洋フライ級王者で世界挑戦も経験する小松則幸に7回負傷判定負け。

さらに、2002年8月20日には元WBC世界スーパーフライ級王者でもあるWBCインターナショナル同級王者ジェリー・ペニャロサに挑み、8回TKO負け。

2004年11月27日、25戦目にして日本王座初挑戦。横浜文化体育館で日本スーパーフライ級王者有永政幸に挑み、10回判定勝ち。王座獲得に成功した。

◆ ラストファイト

2005年4月3日、日本王座初防衛戦。IMPホールで6戦目の新鋭名城信男と対戦した。

田中と名城はともに大阪市内のジムに所属していることもあり、お互い出稽古をするなど頻繁に合同練習を行っていた。

挑戦者・名城は前年8月、2度の世界挑戦経験を持つ本田秀伸とのノンタイトル戦に10回判定勝ちし、世界ランク入りを果たしていた。

王者・田中は試合当日、同年1月に結婚したばかりの妻に「今から試合に行きます。必ずベルトを持って帰ります。勝つ、勝つ、必ず勝って帰ってくる」とメモを残して自宅を出た。

試合は最終、10回TKOで敗れ、王座陥落。

試合終了と同時にリングに崩れ落ちたが、すぐ意識を取り戻す。

新王者・名城に「やっぱり強かったよ」と言い、お互いに握手し健闘を称えあった。

田中はそのまま自分の足で歩き、控え室まで戻ったが、控え室でスタッフに頭痛を訴えた後、意識を失い緊急入院。
搬送先の病院で急性硬膜下血腫と診断され、7日に開頭手術を受ける。

その後、一時期容態が安定したが、2005年4月15日19時頃に容態が急変。意識を取り戻すことなく、同日20時43分に死亡した。

特記事項

没後の2005年12月、第1回関西MIB賞・特別賞を授与され、2005年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会でも特別賞に選出された。

田中を破った名城はその後、WBA世界スーパーフライ級王座を2度獲得。たびたびWBAのチャンピオンベルトを携えながら田中の墓前に赴き、勝利を報告している。

◆ A Related Words :
山口組 田中聖二/青山学院 田中聖二/名城信男 田中聖二/ボクシング 田中聖二/田中聖二 ボクサー/田中聖二 Wiki/田中聖二 Tシャツ/田中聖二 プロフィール/田中聖二 略歴

Page Top

スマートフォン / PC サイト