追悼の森 =貴ノ花 利彰さん死去=

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大相撲元大関  初代 貴ノ花 さん死去

2005年(平成17年)5月30日 死去 享年55歳

貴ノ花 利彰写真  

大相撲元大関  貴ノ花 利彰 さん死去

大相撲の元大関、貴ノ花として数々の名勝負でファンを魅了し、引退後は2人の横綱を育てた角界の大功労者、貴ノ花 利彰(たかのはな としあき)さんが2005年(平成17年)5月30日午後5時40分、口腔底癌(こうくうていがん)のため東京都文京区の順天堂医院で死去した。55歳だった。

名横綱(初代若乃花)の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれ絶大な人気を誇った。今年2月23日にはそれまでの口内炎の病名を改め、次男の貴乃花親方から「口腔底癌」であることが公表された。その後、意識不明の重体に陥っていた。

人物 / 略歴

貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 ~ 2005年5月30日)

青森県弘前市出身。本名は花田 満(はなだ みつる)。元大相撲力士。

位階は従五位旭日小綬章受章。現役時は二子山部屋所属であった。血液型はB型。身長183cm、体重114kg。最高位は大関。

名横綱の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれた。大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。

1993年1月場所後に次男の貴花田(現:貴乃花親方)が四股名を「貴ノ花」に変更してからは、彼と区別するために「初代貴ノ花」と呼ばれることが多くなっている。

◆ 略 歴

北海道室蘭市で10人兄弟の末っ子として生まれる。

初代若乃花と若緑陸奥之丞(三段目)の弟。元横綱・3代目若乃花でタレントの花田虎上と一代年寄貴乃花光司の父。母は武ノ里武三の又従姉。

夫人は元女優でタレントの藤田憲子(2001年(平成13年)離婚)。

杉並区立東田中学校在学中に水泳で名を上げ、オリンピック選手の候補になるほどだった。

しかし兄である二子山(初代若乃花)の相撲部屋への入門を希望。

◆ 入門から入幕まで

1965年(昭和40年)5月場所、本名のままで初土俵。

兄から師匠へと立場の変わった二子山親方は徹底的に厳しく指導した。

同年5月場所に負け越したものの9月場所で十両優勝を果たし、11月場所には新入幕を果たした。

◆ 入幕から大関昇進まで

1970年(昭和45年)1月場所貴ノ花と改めて、10勝5敗で敢闘賞を獲得した。その後、横綱・大鵬との対戦(1971年(昭和46年)1月場所)で足を負傷するが5月場所にその大鵬に黒星をつけて名を上げる(大鵬はこの敗戦を最後に引退)。

その後も、大関・清国に足を取られながら逆転勝ちなど、驚異的な足腰の強さを発揮、角界一の人気を不動のものとした。

◆ 大関時代

1975年(昭和50年)3月場所の千秋楽は、ただ1人1敗を守っていた貴ノ花と2敗の北の湖の対戦となり、貴ノ花は勝てば初優勝だったが、負けて優勝決定戦にもつれ込んだ。

決定戦で貴ノ花は北の湖を下し、悲願の初優勝を果たした。

同年9月場所にも12勝3敗で優勝。2回の優勝の後には横綱昇進を期待されたが、次の場所では好成績を出せず、綱取りは果たせなかった。

結局のところ優勝はこの1975年の2回のみで、この頃が力士としての全盛期だったといえる。

◆ 引 退

1980年1月場所は、7勝8敗と大関昇進後唯一の皆勤での負け越しを喫し、この頃から貴ノ花の限界説が大きく囁かれ始める。

1980年11月場所3日目、大関候補と呼ばれ日の出の勢いだった千代の富士に一方的に敗れ、この時の相撲を引き金に貴ノ花は引退を決意したと言われている。

その翌場所、1981年(昭和56年)1月場所では当時前人未到の、大関在位50場所目を迎えた。

6日目の対蔵玉錦戦を最後に、30歳でついに土俵を去っていった。

この場所貴ノ花は、力の衰えを感じそれを体重でカバーする為に禁煙を試みたものの、却って体調不安を起こす結果になった。長年、頭からぶつかる相撲だったために頸椎を痛めているなど、満身創痍の状態での引退だった。

◆ 晩 年

2003年(平成15年)秋頃から二子山親方は、あごの痛みを訴えるなど体調を崩していたため、入退院を繰り返しながら病気療養を続けていた。

2004年夏頃に再入院してからは、喉が詰まって普通に話しする事さえままならない状態となり、相撲協会の職務を休みがちとなっていた。当初の病名は、公には「口内炎」と発表していた。

2005年(平成17年)1月30日には、自らスカウトした愛弟子の音羽山(元大関・貴ノ浪)の断髪式に入院先の病院から駆け付け、国技館内の好角家からは大きな拍手が送られた。

しかし投薬治療が長く続いた影響か、呼び出しの手を借りなければならない程、体調は相当に悪化した状態だった。

2005年2月23日にはそれまでの口内炎の病名を改め、次男の貴乃花親方から「口腔底癌」であることが発表された。

その後二子山親方は意識不明の重体に陥り、それからわずか3カ月後の5月30日に口腔底癌のため、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で逝去。55歳没。

特記事項

没後、従五位に叙せられ、旭日小綬章を授与された。

6月13日には、両国国技館に於いて北の湖日本相撲協会理事長(当時)を葬儀委員長として日本相撲協会葬が執り行われた。

◆ 初代貴ノ花 / 主な成績

◇ 通算成績:726勝490敗58休 勝率.597
◇ 幕内通算成績:578勝406敗58休 勝率.587
◇ 大関通算成績:422勝278敗42休 勝率.603
◇ 幕内在位:70場所
◇ 大関在位:50場所(当時1位、現在歴代3位)
◇ 幕内最高優勝:2回
◇ 三賞:殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞4回
◇ 金星:1個(北の富士)
◇ 各段優勝:十両2回、序ノ口1回

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