追悼の森 =後藤田正晴さん死去=

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元副総理、衆議院議員  後藤田正晴 さん死去

2005年(平成17年)9月19日 死去 享年91歳

後藤田正晴写真  

元副総理、衆議院議員  後藤田正晴 さん死去

中曽根内閣で官房長官を務めた 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる)さんが2005年(平成17年)9月19日午後8時53分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。91歳だった。

先週から体調を崩し入院していたという。1992年(平成4年)、宮沢改造内閣の法相となり、翌年には副総理に就任。「カミソリ」の異名で、歯に衣(きぬ)着せぬ豪傑ぶりで有名であった。徳島県第3区選出の自由民主党、後藤田正純さんは実兄の孫にあたる。葬儀は近親者のみの密葬で行った。

人物 / 略歴

後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 ~ 2005年9月19日)

徳島県麻植郡東山村(現:吉野川市美郷)に生まれる。警察官僚、政治家。

衆議院議員(当選7回)。位階勲等は正三位勲一等。

警察庁長官、中曽根康弘内閣の内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、宮澤喜一内閣の副総理、法務大臣などを歴任した。

◆ 略 歴

父親の後藤田増三郎は、自由党の壮士として出発し、徳島県議会議員、麻植郡会議長などを務めた地元の名士であった。

1921年に腎臓病で父を、1923年に母を相次いで失い、姉・好子の婚家で徳島有数の素封家であった井上家に預けられた。

富岡中学を経て、1932年に旧制水戸高等学校に入学。1935年に東京帝国大学法学部法律学科に入学(1学期修了後に政治学科へ転科)した。

1939年に東京帝大法学部を卒業すると、内務省に入省した。

◆ 官僚時代

内務省では、土木局道路課に配属される。

翌1940年1月に富山県警察部労政課長に出向。

3月に陸軍に徴兵され、4月に台湾歩兵第二連隊に陸軍二等兵として入営し、5月に台湾歩兵第一連隊に配属される。

経理部将校候補生として陸軍軍曹を経て翌1941年10月には陸軍主計少尉に任官した。

1945年に主計大尉で終戦を迎えると、台湾に中国国民政府軍が進駐し、翌1946年4月まで捕虜生活を送った。

1946年5月、復員すると共に内務省に復職し、神奈川県経済部商政課長、10月 本省に戻り地方局に配属された。又、同時期に内務省職員組合委員長となる

以後、1947年8月の警視庁保安部経済第二課長をきっかけに主に警察畑を歩み、内務省廃止後は警察庁に所属して警察官僚となった。

1969年警察庁長官に就任した。

長官時代は、よど号ハイジャック事件(よど号乗っ取り事件)を始め、極左過激派による、テロ、ハイジャック、東峰十字路事件、あさま山荘事件、爆弾事件などの対処に追われた。

1972年に警察庁長官を辞任した。同年7月、第1次田中角榮内閣内閣の内閣官房副長官(事務)に就任。田中の懐刀として辣腕を揮った。

◆ 政治家時代

◆ 落 選

1974年7月の第10回参議院議員通常選挙に、郷里の徳島県選挙区から立候補する事を決めた。選挙戦は、当初、後藤田に有利と見られたが、結果は、久次米19万6210票に対し、後藤田は15万3388票で敗北した。

◆ 当選後

1976年の衆議院議員総選挙に徳島県全県区(当時)から立候補し、三木武夫と直接対決となった。6万8990票を獲得し、三木に続く2位当選を果たした。

以後、自民党田中派に所属し、田中の庇護の下、当選回数が少ないにも拘らず、顕職を歴任した。

◆ 初入閣

1979年11月、第2次大平内閣の自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官として初入閣した。この時、僅当選2回で、年功序列で衆議院当選5回から6回が初入閣対象とされていた当時の政界にあっては、異例の出世であった。

◆ 官房長官

1982年11月、首班指名を受けた中曽根康弘に請われて、第1次中曽根内閣で内閣官房長官に就任し、内外を驚かせた。自派の人材難に悩む中曽根本人の強い求めによるものであった。

◆ 副総理

1993年4月、副総理兼外務大臣の渡辺美智雄が病気辞任したため、法相としては異例ながら副総理を兼務し、大物大臣として閣内において存在感を示した。

カミソリといわれた官僚時代と異なり、法相就任後は好々爺の雰囲気をかもし出し国民からも親しまれた。

◆ 晩 年 / 政治家引退後

1996年の総選挙には、高齢のために出馬せず引退し、第一線を退いた。

一方、河野洋平を溺愛し与党の対中外交を裏で操りつつ、「つくる会」の新しい歴史教科書(扶桑社発行)の採択では反対の立場を貫いた。

政治家引退後も国家的、国際的な安全保障、災害事象が起きると現役の首相など、政権中枢にアドバイスを与えていた他、佐々などかつての部下を首相官邸に送り込んで処理の補助を行わせていた。

最晩年はTBSの『時事放談』に出演するなどしていたが、2005年9月19日午後8時53分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年91歳。

特記事項

「カミソリ後藤田」、「日本のアンドロポフ」、「日本のジョゼフ・フーシェ」などの異名を取った。

◆ 後藤田 正晴 / 主な栄典

◇ 1972年:アメリカ合衆国民間人最高功労章
◇ 1997年:勲一等旭日大綬章

◆ 後藤田 正晴 / 著作

◇ 『政治とは何か』(講談社, 1988年) ISBN 4062026511
◇ 『内閣官房長官』(講談社, 1989年) ISBN 4062047276
◇ 『支える動かす 私の履歴書』(日本経済新聞社, 1991年)
◇ 後に『保守政権の担い手 私の履歴書』に所収 (日経ビジネス人文庫, 2007年) ISBN 4532193737
◇ 『政と官』(講談社, 1994年) ISBN 4062072262
◇ 『情と理―後藤田正晴回顧録』 (講談社 上・下, 1998年、講談社+α文庫 上・下, 2006年)
※ 御厨貴らによる聞き書き・監修、文庫化に際し「情と理―カミソリ後藤田回顧録」に改題  上・下・文庫版
◇ 『後藤田正晴の目』(朝日新聞社, 2000年) ISBN 4022575298
◇ 『後藤田正晴二十世紀の総括』 (生産性出版、1999年)内田健三、佐々木毅、早野透による全7回のインタビュー集
◇ 『後藤田正晴日本への遺言』 (毎日新聞社, 2005年) <時事放談>での発言録集

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