追悼の森 =本田美奈子さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【は~ひ~ふ~へ~ほ】 著名人訃報一覧【は~ひ~ふ~へ~ほ】  著名人訃報一覧 2005年 著名人訃報一覧 Ver.37
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

歌手、女優  本田美奈子 さん死去

2005年(平成17年)11月6日 死去 享年36歳

本田美奈子写真  

歌手、女優  本田美奈子 さん死去

ミュージカル「ミス・サイゴン」のヒロイン、キム役などで知られる歌手で女優の 本田 美奈子(ほんだ みなこ)さんが2005年(平成17年)11月6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳だった。

今年1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し化学療法などを受けていた。白血病の中でも極めてまれな、予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。その後、肺への合併症から容態が急変した。

人物 / 略歴

本田 美奈子(ほんだ みなこ、1967年(昭和42年)7月31日 ~ 2005年(平成17年)11月6日)

東京都板橋区上赤塚町(現成増)に生まれる。 本名は工藤 美奈子(くどう みなこ)。歌手、女優。

アイドル歌手で、1990年代以降は主にミュージカルで活動した。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦する。

◆ 略 歴

1967年(昭和42年)7月31日午前11時17分、東京都板橋区上赤塚町(現成増)の成増産院にて、体重2860gで生まれる。

埼玉県朝霞市に移住し、朝霞白百合幼稚園に入園した。以来、生涯の大半を朝霞市で過ごした。

朝霞市立朝霞第六小学校の卒業文集にも「女優か歌手になれたらイイ」と書いていた。

朝霞市立朝霞第一中学校時代に『スター誕生!』のオーディションを受け、決戦大会にまで進出した。しかしプロダクションからのスカウトはされなかった。

1983年(昭和58年)4月、東京都北区の東京成徳短期大学附属高等学校に入学。

同年7月に初めて原宿を訪れた際に、少女隊のメンバーを探していたボンド企画のスタッフにスカウトされ、芸能界に入った。

当初の少女隊のメンバーという構想に反し、その歌唱力の高さを見込まれソロ歌手として活動することになった。

高校2年生の1984年(昭和59年)9月に第8回長崎歌謡祭に本名で出場し、「夢少女」(作詞:深田尚美、作曲:安格斯)という楽曲を歌ってグランプリを受賞。このことがレコードデビューのきっかけとなった。

1985年(昭和60年)4月20日に東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビューした。

その後、4枚目のシングル「Temptation(誘惑)」をヒットさせたほか、12月7日には新人歌手としては異例の武道館コンサートを成功させた。また、同年の数多くの新人賞を受賞した。

1986年(昭和61年)2月5日に「1986年のマリリン」をリリースし大ヒットとなった。同曲は今もって本田の最も有名な楽曲である。

1988年(昭和63年)に女性だけのメンバーによるロックバンド“MINAKO with WILD CATS”を結成、シングル「あなたと、熱帯」、アルバム『WILD CATS』などを発表した。

同年9月11日SHOW-YAが企画した女性ロッカーのみによるジョイントライブ『NAONのYAON』に出演。翌1989年(平成元年)秋に解散した。

◆ ミュージカルでの活躍

1990年(平成2年)、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。
1992年(平成4年)5月5日 - 『ミス・サイゴン』日本初演。以来一年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力を高く評価された。
1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。
1994年(平成6年) - 『屋根の上のバイオリン弾き』にホーデル役で出演。
1996年(平成8年) - 『王様と私』にタプチム役で出演。
1997年(平成9年) - 『レ・ミゼラブル』にエポニーヌ役で出演。以後も繰り返しこの役で出演し、エポニーヌは本田の当たり役となった。
2002年(平成14年) - 『ひめゆり』にキミ役で出演。日本で制作されたミュージカルへの初の出演となった。

◆ 白血病死

2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。

翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院、その翌日にはその事実が公表された。

その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解(癌細胞が十分に減った状態)は得られなかった。

急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。

治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクでドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月、臍帯血移植を受けた。

同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月初旬に再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を受けた。

その後、肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、逝去した。38歳没。

特記事項

◆ 本田 美奈子 / 書籍 ・ エッセイ

◇ 果汁120パーセント (1985年12月10日、角川文庫)
◇ その気になって-カッ飛んじゃおうゼ (1986年7月10日、ワニブックス)
◇ 天国からのアンコール vol.1 1986年のマリリン (2006年4月20日)
◇ 天国からのアンコール vol.2 2006年のマリリン (2006年4月20日)

◆ 本田 美奈子 / 写真集

◇ 好きといって… (1985年8月20日、講談社)
◇ あぶない危ない少女 (1985年11月5日、ワニブックス)
◇ SPARKLING美奈子 (1986年3月20日、日音)
◇ 私・激(シゲキ)して-夏 (1986年5月31日、音楽専科社)
◇ BATHROOM ANGEL (1986年10月5日、集英社)
◇ CANCEL (1986年12月15日、シンコー・ミュージック)
◇ WHAT'S (1987年10月26日、スコラ)
◇ APPETIZER〔アピタイザー〕 (1990年7月10日、ワニブックス)
◇ SAIGON (1992年6月1日、大陸書房)
◇ 時間のない島 (1995年10月20日、竹書房)
◇ 本田美奈子.メモリアル (2005年12月10日)

◆ A Related Words :
諸星和己 本田美奈子/本田美奈子 死因/本田美奈子 白血病/本田美奈子 動画/本田美奈子 葬儀/本田美奈子 結婚/本田美奈子 マリリン/本田美奈子 墓/YouTube 本田美奈子/本田美奈子 1986年のマリリン/本田美奈子 死去/本田美奈子 病気/本田美奈子 プロフィール/本田美奈子 略歴

Page Top

スマートフォン / PC サイト