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プロ野球近鉄、オリックス元監督  仰木 彬 さん死去

2005年(平成17年)12月15日 死去 享年70歳

仰木彬写真  

プロ野球の近鉄、オリックスの元監督  仰木 彬 さん死去

プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務めた 仰木 彬(おおぎ あきら)さんが2005年(平成17年)12月15日午後4時10分、呼吸不全のため福岡県福岡市内の病院で死去した。70歳だった。

2004年(平成16年)に野球殿堂入りを果たした。しかし、この時 既に肺がんが発覚しており 闘病を続けていたという。死期が迫った2005年(平成17年)12月に担当の医師に「20日にイチローと食事の約束をしている。それまでは生きさせてくれ」と訴えたという。葬儀は本人の意向により密葬にて営まれた。

人物 / 略歴

仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 ~ 2005年12月15日)

福岡県出身。プロ野球選手、監督、野球解説者。

昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチや監督を歴任した。

◆ 略 歴

教員をしていた両親の間に生を受ける。しかし父が太平洋戦争にて戦死し、少年期は厳格な母の手一つで育てられた。

1953年、東筑高校全日制課程商業科3年の時に第35回全国高等学校野球選手権大会に投手として出場した。

◆ 現役時代

1954年に西鉄に入団。

期待の特大ルーキーだったが、フリーバッティングで不運なヒットを連打され、それを見ていた三原脩監督から「お前は投手としてのツキがないから二塁手転向」と、その場でセカンドにコンバートされた。

元々、高校時代に急造の投手になるまでは内野手であったため、好守備を見せ、1年目からレギュラーに定着、以降長きに渡り中西太、豊田泰光と共に西鉄黄金時代の内野陣を支えた。

1967年限りで現役を引退し、その後は2年間西鉄のコーチを務めた。

◆ 近鉄コーチ・監督時代

1970年、三原脩が監督を務めていた近鉄の守備走塁コーチに就任。1983年オフ、ヘッドコーチ昇格。

1987年オフ、岡本伊三美監督の後任として近鉄監督に就任。

この年の激烈な優勝争いは球史に残るドラマティックなものであった。

様々な奇策による好采配は、恩師三原脩の「三原マジック」に倣って「仰木マジック」と称された。

翌1989年には2位オリックスにわずか1厘差(3位西武とは2厘差)でチームを9年ぶりのリーグ優勝に導いた。

その年読売ジャイアンツを相手に行われた日本シリーズでは、3連勝の後の4連敗を喫し、チーム初の日本一を逃す。

その後は毎年Aクラスという成績を残すものの1991年~1992年と2年連続西武との優勝争いに破れ、1992年をもって監督を勇退。

◆ オリックス・ブルーウェーブ監督時代

1994年よりオリックス・ブルーウェーブの監督に就任。

就任後、これまで二軍生活を続けていたイチローをすぐに一軍で抜擢し大活躍させるなど、土井の時代に停滞していた才能を次々に開花させた。

就任1年目の1994年のシーズンに早速チームを2位に浮上させると、翌年の1995年には阪神・淡路大震災に遭い、一時は試合開催さえ危ぶまれた状態から、『がんばろうKOBE』を合言葉に、オリックスとして初のリーグ優勝に導く。

日本シリーズでは野村克也監督率いるヤクルトスワローズと対戦するが、1勝4敗で日本一ならず。

翌1996年もリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツと対戦。4勝1敗で巨人を下し、監督として初の日本一に輝いた。

イチローや田口がメジャーリーグに渡り、2年連続でBクラスとなった2001年限りで監督を勇退した。

◆ オリックス・バファローズ監督時代

オリックスの監督を勇退した後、2002年から2004年までABC、スポーツニッポン解説者を務める。

2004年には野球殿堂入りを果たす。同年末に行われた記念パーティーでのスピーチで「今日のパーティーでございますが、これは私の生前葬だと思っております」と語っていたが、実はこの時、既に肺癌が発覚しており、闘病を続けていたという。

しかし仰木は生前、癌に侵されて闘病している事実を公にすることは一切しなかった。

2005年、近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生した新生「オリックス・バファローズ」から監督就任要請を受け、4シーズンぶりの現場復帰を果たす。この時70歳。

闘病を続けていた肺癌は完治していなかったが、「グラウンドで倒れたら本望」と、病をおして監督に就任したという。

就任後、特に後半戦の西武ドームでの試合の際には、球場の階段を自力で上ることすらできず、外野の大道具搬入口からグラウンドに出入りしていた程、明らかに体調を崩している様子が周囲から確認されていたという。

西武ドームでの最終戦後、レフトのオリックスファンに2、3度頭を下げ「ありがとう」と口にし、そのままセンターバックスクリーン(大道具搬入口)から外付けのハイヤーに乗り込んだ。 最終戦の翌日に記者会見を開いて監督引退と球団のシニア・アドバイザー(SA)への就任を発表した。

しかし、それから僅か2ヶ月後の12月15日午後4時10分、肺癌による呼吸不全のため、福岡県福岡市内の病院で死去。70歳没。法名は「仰崇院釋耀彬」。

特記事項

1980年代から90年代にかけて、10.19や10.12と呼ばれた名勝負や、阪神大震災後に『がんばろうKOBE』を合言葉に快進撃を果たし、率いたチームを11年連続でAクラス入りさせた名監督として知られる。

◆ 仰木 彬 / 著書

◇ 『燃えて勝つ―9回裏の逆転人生』(1990/03 学習研究社)
◇ 『勝つということ―対談・熱球交友録』(1997/03 集英社 鐘ヶ江管一共著)
◇ 『勝てるには理由がある。』(1997/04 集英社)
◇ 『人を見つけ人を伸ばす―個性を発掘する人材活用』(2002/06 光文社 二宮清純共著)

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