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全日本空輸の元名誉会長  若狭得治 さん死去

2005年(平成17年)12月27日 死去 享年91歳

若狭得治写真  

全日本空輸の元名誉会長  若狭得治 さん死去

全日本空輸の元名誉会長で、ロッキード事件で有罪が確定した 若狭 得治(わかさ とくじ)さんが2005年(平成17年)12月27日午前7時2分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。91歳だった。

1976年(昭和51年)に次期大型機トライスターの選定をめぐるロッキード事件が発覚し、外国為替管理法違反、議院証言法違反の罪に問われ、1992年(平成4年)、最高裁判所で懲役3年、執行猶予5年の刑が確定した。

人物 / 略歴

若狭 得治(わかさ とくじ、1914年(大正3年)11月19日 ~ 2005年(平成17年)12月27日)

富山県出身。運輸官僚、実業家。

全日本空輸社長、会長、名誉会長を歴任した。

◆ 略 歴

砺波中学、旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学。

1938年(昭和13年)同法学部を卒業後、逓信省に入省した。

1940年(昭和15年)国家主導で外国船を一括用船(チャーター)する帝国船舶株式会社の発足にかかわる。

1945年(昭和20年)6月、新潟市に設置された、運輸省海運総局日本海事務局の輸送課長となり、終戦を迎える。

◆ 運輸官僚として

1946年(昭和21年)8月、戦後復興の物資の生産・配給を行う船舶公団の設立にかかわり、計画造船を実施する。

1948年(昭和23年)2月、悪化した結核性肋膜炎の療養のため東海海運局伏木支局へ転勤。同年7月より新設された伏木海上保安所長を兼務。

1959年(昭和34年)5月、海運局次長に就任。次いで1961年(昭和36年)7月、海運局長に就任。海運局長時代には、海運会社を6社に統合し海運業界の体質強化を図った。

1965年(昭和40年)6月、運輸事務次官となる。

1967年(昭和42年)3月14日退任した。

◆ 全日空中興の祖

1969年(昭和44年)に、全日空に顧問として招聘され、副社長を経て、1970年(昭和45年)に社長に就任する。

社長としては全日空の国際線進出を実行した他、関連企業としてホテル事業などを展開するなど経営の多角化にも積極的に取組み、「全日空中興の祖」と呼ばれた。

その後、1976年(昭和51年)に会長となり、1991年(平成3年)に名誉会長、1997年(平成9年)に相談役、1998年から常勤顧問を勤めた。

◆ ロッキード事件

全日空在籍中の1976年(昭和51年)に、次期大型機トライスターの選定をめぐるロッキード事件が発覚し、橋本登美三郎らへの全日空ルートでの贈賄は時効のため起訴されなかったが、外国為替管理法違反、議院証言法違反の罪に問われ、1992年(平成4年)最高裁判所で懲役3年執行猶予5年の刑が確定した。

◆ 死 去

2005年12月27日午前7時2分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年91歳。

特記事項

◆ その他の経歴

◇ 1968年(昭和43年)4月 - 港湾近代化促進協議会会長。
◇ 1968年(昭和43年)12月 - 日本海事財団会長。
◇ 1996年(平成8年) - 日本航空協会会長。

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