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映画監督  那須博之 さん死去

2005年(平成17年)2月27日 死去 享年53歳

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映画監督  那須博之 さん死去

「ビー・バップ・ ハイスクール」や「紳士同盟」「ピンチランナー」などのアイドルムービーで知られる映画監督の 那須 博之(なす ひろゆき)さんが2005年(平成17年)2月27日午後8時51分、肝臓がんのため東京都調布市内の病院で死去した。53歳だった。

今年1月中旬に体調が急激に悪化し入院していた。吐血を繰り返すなどしていたといわれ、最期は夫人で脚本家の真知子さんと両親が看取ったという。葬儀は近親者らで密葬を行う。後日、お別れの会を開く。

人物 / 略歴

那須 博之(なす ひろゆき、1952年1月27日 ~ 2005年2月27日)

東京都出身。映画監督。

◆ 略 歴

東京都立西高等学校、東京大学経済学部卒業。

大学在学中はワンダーフォーゲル部に所属し、山登りに熱中。

そんな折に映画『仁義なき戦い』を見て強い衝撃を受け、アクション映画監督を志し日活に助監督として入社した。

1982年に日活ロマンポルノ『ワイセツ家族 母と娘』で監督デビューする。

1985年に念願叶って手がけた初のアクション映画『ビー・バップ・ハイスクール』のヒットで注目され、同シリーズを立て続けに成功させて一時代を築く。

那須が監督を担当した作品のうち、『ビー・バップ・ハイスクール』以降はその全ての脚本を妻の那須真知子が手がけている。

『デビルマン』においては、完成した作品も「学芸会レベル」の演技やデタラメな展開等が集中砲火のように非難され、結果としてこの作品はあらゆる方面からの批判やバッシングの矢面に立たされ、制作費10億円に対し興行収入が5億円(興行収入は末端売上なので、通常は制作費の数倍は計上しないと採算が取れない)という事態を招いている。

更に文春きいちご賞(文藝春秋)と蛇いちご賞(スポーツ報知)の第1回となる2004年度では最低映画賞となった『デビルマン』と並んで最低監督賞をダントツで同時受賞するという不名誉な結果も残した。

2005年2月27日午後8時51分、肝臓がんのため東京都調布市内の病院で死去した。享年53歳

特記事項

妻は脚本家の那須真知子。

没後、遺作となった『真説タイガーマスク』が発表された。

◆ 那須博之 / 主な監督作品

◇ 女子大生 縛り・初体験 [生撮りビデオ](1981年)
◇ 縛り・金瓶梅 [生撮りビデオ](1982年)
◇ ワイセツ家族 母と娘(1982年)
◇ セーラー服 百合族(1983年)
◇ セーラー服 百合族2(1983年)
◇ 姉日記(1984年)
◇ ルージュ(1984年)
◇ ヴァージンなんか怖くない(1984年)
◇ 美少女プロレス 失神10秒前(1984年)
◇ タブーX倒錯(1985年)
◇ ビー・バップ・ハイスクール (1985年)
◇ 紳士同盟(1986年)
◇ ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌 (1986年)
◇ 新宿純愛物語(1987年)
◇ ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲 (1987年)
◇ ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲 (1987年)
◇ ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭 (1988年)
◇ ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇 (1988年)
◇ 右曲がりのダンディー(1989年)
◇ 代打教師 秋葉、真剣です!(1991年)
◇ ろくでなしBLUES(1996年)
◇ 地獄堂霊界通信(1996年)
◇ 新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT4(1998年)
◇ 新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3(1998年)
◇ あばれブン屋(1998年)
◇ 実録外伝 武闘派黒社会(1999年)
◇ モー娘。走る! ピンチランナー(2000年)
◇ デビルマン(2004年)
◇ 真説タイガーマスク(2005年)

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