追悼の森 =橋本龍太郎元首相死去=

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第82、83代 内閣総理大臣  橋本龍太郎 さん死去

2006年(平成18年)7月1日 死去 享年68歳

橋本龍太郎写真  

第82、83代 内閣総理大臣  橋本龍太郎 さん死去

第82、83代内閣総理大臣を務めた 橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう)元首相が2006年(平成18年)7月1日午後2時、腸管虚血を原因とする敗血症性ショックによる多臓器不全のため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。

同年6月4日に腹痛のため入院、腸管虚血と診断され、5日には大腸と小腸を切除する手術を受け集中治療室で治療が行われていた。死後、病院側の意向により遺体は病理解剖に付された。

人物 / 略歴

橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年)7月29日 ~ 2006年(平成18年)7月1日)

東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)に生まれる。政治家。

岡山県総社市名誉市民。位階勲等は正二位大勲位。愛称は橋龍(はしりゅう)。

衆議院議員(14期)、厚生大臣(第57代)、運輸大臣(第58代)、大蔵大臣(第93・94・103代)、通商産業大臣(第59代)、内閣総理大臣(第82・83代)、沖縄開発庁長官(第42代)、沖縄及び北方対策担当大臣、規制改革担当大臣等を歴任した。

◆ 略 歴

東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)に大蔵官僚であった橋本龍伍、春の長男として生まれた。

母、春は警視総監、朝鮮総督府政務総監などを歴任した大野緑一郎の長女。龍太郎の生後5か月後に中耳炎をこじらせ急死した。
父、龍伍には転勤がつきものだったため、祖母の真都に育てられた。

◆ 学生時代

田園調布小学校に入る前、7歳の時に、継母・正を迎えた。

麻布高校に進むと山岳部に所属した。

大学入学後にはもう一つの趣味であった剣道にも力を入れた。

1956年、慶應義塾大学法学部政治学科に入学。大学でも剣道に力を入れた。とにかく前に出て攻めていたので“突貫剣士”というニックネームをつけられていた。

大学卒業後、呉羽紡績株式会社(のち東洋紡績に吸収合併。クレハは分社した化学部門)に入社した。

◆ 政治家の道へ

社会人3年目の1962年、父・龍伍が急死した。

父の意中の後継者は弟・大二郎であり、龍太郎本人も政界に進むつもりはなかった。

当時大学生であった大二郎は被選挙権を得ておらず、橋本の母・正に出馬を求める声も挙がったが、父と親交の深かった佐藤栄作による指名を受け、龍太郎が亡父の後継者として選挙に出馬することになった。

1963年の総選挙で衆議院議員に初当選。開票結果は選挙戦前の予測を上回る7万4564票で、江田三郎に次いで2位の得票数だった。

議員当選後に遠縁に当たる久美子と結婚。久美子はカトリックだったため、六本木のチャペルセンターで結婚式を挙げた。媒酌人は佐藤栄作。

◆ 枢要ポストを歴任

1978年12月7日、第1次大平内閣で厚生大臣に任命され、当選5回で初入閣を果たした。

1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任して国鉄民営化を担当した。

1987年には竹下内閣で幹事長代理に就任し、健康不安のある幹事長の安倍晋太郎を支え続け、消費税導入や昭和天皇の大喪の礼に対して党側の実務を担当した。

◆ 総裁候補へ浮上

1989年、宇野内閣成立時には幹事長代理の経験が買われ、幹事長に昇格した。

宇野首相が辞任すると、橋本は後継候補に浮上し本命視される。

しかし、女性問題を理由に自派閥の支持が伸び悩み、盟友・安倍晋太郎への配慮から世代交代を嫌った竹下登、橋本の突出を嫌った金丸信や小沢一郎らに動きを封じられ、結局、宇野の後継には海部俊樹が就任した。

1989年8月海部内閣で大蔵大臣に就任し、第2次海部内閣でも留任するが、1991年10月、証券不祥事などで引責辞任した。

1993年の総選挙の時には、当時の自民党政治家で高い人気を誇った橋本、河野洋平、石原慎太郎は「三本の矢」と呼ばれ全国遊説で奮闘した。

総選挙の後には細川内閣が成立し、自民党は下野した。

自民党が与党に復帰した際、自社さ連立政権の村山内閣で通商産業大臣に就任した。大臣在任中、日米自動車交渉をまとめ、交渉相手の米国からも高く評価されている。

◆ 第17代自民党総裁 / 第82代内閣総理大臣

1995年9月、橋本は国民的人気を背景に自民党総裁選に出馬する。

橋本は304票を獲得し、87票を獲得した小泉に圧勝。第17代自民党総裁に就任した。

幹事長に宮澤派の加藤紘一、総務会長に三塚派の塩川正十郎。政調会長に旧渡辺派の山崎拓を選任した。

橋本は総裁就任に伴って、村山内閣改造内閣で副総理を兼務し引き続き通産相をつとめた。

1996年1月11日、村山富市首相の辞任に伴い、第82代内閣総理大臣に指名され、自社さ連立による第1次橋本内閣が発足した。

自身の59歳の誕生日である1996年7月29日に現職の内閣総理大臣としては11年ぶりに靖国神社を参拝した。

同年の臨時国会冒頭の9月27日、衆議院を解散。小選挙区比例代表並立制の下で初の衆議院総選挙が行われ、自民党は28議席増の239議席と復調した。

◆ 第二次橋本内閣

1996年11月7日、社会党・新党さきがけが閣外協力に転じて、3年ぶりの自民党単独内閣となった第2次橋本内閣が発足。

1997年、橋本と小沢は特措法を成立させる事で合意し、同法は新進党の協力を得て成立した。

同年9月、党総裁に再選され、内閣改造を行い第2次橋本内閣改造内閣が発足。梶山に代わって村岡兼造を官房長官に指名したほか、ロッキード事件で有罪が確定している佐藤孝行を総務庁長官に起用した。

1998年7月の参院選では、景気低迷や失業率の悪化、橋本や閣僚の恒久減税に関する発言の迷走などで、当初は70議席を獲得すると予想されていた自民党は44議席と惨敗。橋本内閣は総辞職した。

◆ 晩 年

2004年7月日歯連闇献金事件が発覚した。

内容としては、橋本と青木幹雄・野中広務が日歯連会長、理事(当時)と料亭で会食し、その際に1億円の小切手を受け取り、収支報告書に記載しなかったというものであった。

東京地検が政治資金規正法違反で旧橋本派の公認会計士を、日歯連会長と理事を贈賄容疑で逮捕した。

この事件により平成研究会の会長を辞任し、同派から離脱。次期総選挙での小選挙区岡山4区からの出馬を辞退する意向を示した。

橋本と同席していた青木・野中も東京地検が捜査していたが同年9月に不起訴となった。

のちに検察審査会で同事件での不起訴は不当であるとする議決を行った。

橋本派の各種団体との癒着や政治と金の問題が浮き彫りになった。その後、比例区からの出馬が模索されたものの党はこれを認めず、政界引退を余儀なくされた。

2006年7月1日 東京都新宿区の国立国際医療センターで腸管虚血を原因とする敗血症性ショックによる多臓器不全のため死去した。享年満68歳没 。

なお、死因である腸管虚血は原因がよくわからないこともあり、死後、病院側の意向により、遺体は病理解剖に付された。

特記事項

在任中は住専問題や行財政改革に取り組み、外交面ではビル・クリントンアメリカ合衆国大統領やボリス・エリツィンロシア連邦大統領と親交を深めた。

第18回参議院議員通常選挙での自民党惨敗を受け引責辞任した後も、小渕恵三首相の下で外交特別顧問に就任し、その後も森内閣で沖縄開発庁長官や規制改革担当大臣、沖縄及び北方対策担当大臣を歴任した。

◆ 橋本龍太郎 / 著 書

◇ 『Vision of Japan わが胸中に政策ありて』KKベストセラーズ1993年 ISBN 4584181624
◇ 『政権奪還論 』講談社 1994年 ISBN 4062070065
◇ 『燃える剣―橋本龍太郎の青春秘話』日本出版放送企画 1996年 ISBN 4795253412
◇ 『馬越恭平』(岡山 : 山陽図書出版 , 1976年)

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