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元プロレスラー  大木金太郎 さん死去

2006年(平成18年)10月26日 死去 享年77歳

大木金太郎写真  

元プロレスラー  大木金太郎 さん死去

1960年~70年代に必殺技の頭突きで活躍した元プロレスラーの 大木 金太郎(おおき きんたろう)さんが2006年(平成18年)10月26日午前12時17分(日本時間)、慢性腎不全症と心臓血管異常による心臓麻痺のため韓国 ソウル市内の病院で死去した。77歳 だった。

韓国、全羅南道高興郡金山面出身。必殺技の頭突きの後遺症による脳血管疾患と併せ、糖尿病や高血圧、心不全、下肢浮腫を患い長期入院療養中の状態であったという。

人物 / 略歴

大木 金太郎(おおき きんたろう、1929年2月24日 ~ 2006年10月26日

韓国 全羅南道高興郡金山面出身。本名は金一(キム・イル)。元プロレスラー。

身長185cm、体重120kg(現役当時)。

◆ 略 歴

力道山が同郷のよしみで身元引受人となり、日本プロレスコミッショナーの大野伴睦代議士を動かしたことで釈放され、「日本プロレス」に入門し同年11月にプロレスデビュー。

翌年にはジャイアント馬場とアントニオ猪木が入門デビューし、「若手三羽烏」と称された。

1967年6月に、韓国のソウルでマーク・ルーインからWWA世界ヘビー級王座を獲得し名実共に韓国プロレス界のトップに立ったが、短期間でタイトルを奪回されている。

1980年2月に「国際プロレス」入団。これを機会に再び全日本に来日するようになったが、1982年の阿修羅・原戦を最後に、首の持病が悪化し事実上の引退となった。

◆ 「引退セレモニー」とその後

1995年4月2日に行われたベースボール・マガジン社(週刊プロレス)主催のオールスター戦「夢の懸け橋」東京ドーム大会で、それまでの功績を讃えて正式な「引退セレモニー」が行われた。

車椅子姿で花道を入場してきたが、リング・インの際は気丈に立ち上がり、ルー・テーズと共にリング内に進むと四方へ頭を下げ、ファンの声援を受けると現役時代からであるが流暢な日本語で「(感激で)胸がいっぱいで声が出ません」と涙を流した。

2005年9月の「月刊朝鮮」によると、ソウル市内の病院に入院中で、頭突きの後遺症による脳血管疾患と高血圧、心不全、下肢浮腫を患っている状態であったという。

体重は78kgほどまで落ち、10年前に再婚した夫人が看病に当たっていると韓国国内に報じられた。

2006年10月26日、ソウル乙支病院において慢性心不全と腎臓血管異常による心臓麻痺により死去。77歳没。

特記事項

1994年、2000年には本国韓国で国民勲章を受章している。

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