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お笑いタレント  松本竜助 さん死去

2006年(平成18年)4月1日 死去 享年49歳

松本竜助写真  

お笑いタレント  松本竜助 さん死去

漫才コンビ「紳助・竜介」で人気者になったタレントの 松本 竜助(まつもと りゅうすけ)さんが2006年(平成18年)4月1日午前5時2分、脳出血のため大阪市内の病院で死去した。49歳だった。

1977年(昭和52年)、松本竜介の名前で島田紳助と共に漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。漫才ブームの波に乗り、一世を風靡した。しかし、人気絶頂期の1985年(昭和60年)にコンビを解散した。今年3月22日、職場である大阪ミナミの風俗案内所で勤務中に「頭が痛い。救急車を呼んで欲しい」という言葉を残し倒れ、病院へ救急搬送されたが 意識不明の状態が続いていたという。

人物 / 略歴

松本 竜助(まつもと りゅうすけ、1956年4月6日 ~ 2006年4月1日)

徳島県出身。本名は松本 稔(まつもと みのる)。お笑いタレント。

◆ 略 歴

大阪市立都島工業高等学校卒業。

卒業後、大手食品会社のAGFに就職しサラリーマンとなったが、早々に退社し、京都花月の舞台裏方として芸人修行に入る。

◆ 紳助・竜介時代

1977年、松本竜介の名前で島田紳助と共に漫才コンビ「紳助・竜介」を結成した。「松本竜介」は西川のりおが命名した芸名である。

漫才ブームの波に乗り、吉本興業の看板芸人一員として一世を風靡する。

1983年には芸名を竜助に改名。当事関係を持った女性は300人を軽く超えるといわれた。しかし、人気絶頂期の1985年に紳助の意向でコンビを解散。

その後吉本を去り、新たな相方と「竜助 ポン太」というコンビを組むが、売れずにほどなくして解消する。

◆ 実業家への転身と自己破産

その後、映像制作会社を起業し、タレント活動も続けるが、1996年頃より吉本興業と疎遠になり、1998年に、喫茶店、アダルトビデオ製作などの副業失敗で1億3000万円の借金を抱え、自己破産した。

破産管財人は、淀屋橋合同法律事務所の阪口彰洋弁護士であった。自己破産を理由に吉本からはほぼ絶縁状態になる。

◆ 菊水丸への入門・破門

自己破産後、後輩である河内家菊水丸に弟子入りして河内家ピンポン丸(高校時代卓球部に在籍していたことが命名の理由)の名で芸能界復帰を図るが、無断欠勤を続けた結果破門され、その後は『借王』などの映画に端役で出演したものの、芸能活動も休止状態となる。

◆ 晩 年 / 芸能活動休止後

晩年は名古屋の風俗レポーター、大阪ミナミの風俗案内所長などの職を転々とし、大阪の歓楽街で話題になっていた。

また、M-1グランプリの予選では息子と出場したが、敗退した。

50歳になったときの記念に2006年に紳助との復活漫才を披露する計画もされ、ツナギ衣装も用意されていたという。

◆ 急死・最後の別れ

2006年3月22日、大阪ミナミの風俗案内所で勤務中に脳内出血(脳幹出血)で倒れ、同年4月1日死去。49歳没。

最後の言葉は倒れる前に従業員に言った「頭が痛い。救急車を呼んで欲しい」であった。

特記事項

4月3日、大阪市北区長柄西の大阪北玉泉院で行われた葬儀、告別式には、かつて所属していた吉本興業の関係者や所属芸人、ファンなど約500人が弔問に訪れた。なお、元相方の島田紳助は参列していない。

◆ 松本竜助 / 著 作

◇ 「ぼくはこうして破産した―首が回らなくなるまでの全軌跡」
◇ 「うそどりの「志」」
◇ 「一語一会 ― HOW TO竜助」

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