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第78代 内閣総理大臣
宮沢 喜一 さん死去

2007年(平成19年)6月28日 死去 享年87歳

宮沢喜一写真 

元首相  宮沢喜一 さん死去

第78代 内閣総理大臣 宮沢 喜一(みやざわ きいち)元首相が2007年(平成19年)6月28日午後1時16分、老衰のため東京都渋谷区の自宅で死去した。87歳だった。

1991年(平成3年)11月、第78代 内閣総理大臣に就任。保守本流のエース、国際派の総理大臣として大きな期待がかかったが、竹下派の支配下にあって思い通りの政権運営はままならなかった。1993年(平成5年)6月、自民党分裂で内閣不信任決議案が可決され 衆院を解散。総選挙で過半数割れに追い込まれ退陣した。葬儀は7月1日、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の庸子(ようこ)さん。

人物 / 略歴

宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年(大正8年)10月8日 ~ 2007年(平成19年)6月28日)

東京に生まれる。本籍地は広島県福山市。大蔵官僚、政治家。

報道では新字体で宮沢 喜一と表記されることも多い。

参議院議員(2期)、経済企画庁長官(第12・13・17・18・29代)、衆議院議員(12期)、通商産業大臣(第32代)、外務大臣(第103代)、内閣官房長官(第44代)、大蔵大臣(第88・89・105・106・107代)、内閣総理大臣(第78代)、郵政大臣(第56代)、農林水産大臣(第18代)、財務大臣(初代)などを歴任した。

◆ 略 歴

宮澤裕、こと夫妻の長男として東京に生まれた。本籍地は広島県福山市。

母 ことは司法大臣、鉄道大臣等を歴任した小川平吉の二女。 父の裕は当時山下汽船に勤務していたが、すでに政界を志し、広島県から国会へ進出しようとして着々と準備を進めていた。

◆ 学生時代

東京高師附属小学校、旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。
在学中の1939年(昭和14年)、日米学生会議に参加のため渡米した。

◆ 官僚として

1942年(昭和17年)1月、大蔵省に入省。
1945年(昭和20年)8月、東久邇宮内閣が発足すると、大平正芳とともに津島壽一蔵相秘書官となる。
1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコ講和会議では全権随員として参加。

◆ 政界入り

1952年(昭和27年)大蔵省を退官。
1953年(昭和28年)、第3回参議院議員通常選挙に広島県選挙区から出馬し当選。
1962年(昭和37年)の第2次池田改造内閣では経済企画庁長官として初入閣、池田首相のブレーンの一人として所得倍増政策の一翼を担う。
1967年(昭和42年)衆議院に鞍替え出馬して第31回衆議院議員総選挙に当選。以後通産相、外相、総務会長などの要職を歴任していった。

◆ 総理大臣就任

1991年(平成3年)、海部俊樹首相の退陣に伴う総裁選挙で勝利、73歳にして内閣総理大臣に就任した。

保守本流のエース、国際派の総理大臣として大きな期待がかかったが、竹下派の支配下にあって思い通りの政権運営はままならなかった。

訪中した際には反日団体から生卵を車列にぶつけられた。天皇の戦後初の訪中も実現させている。

1993年(平成5年)6月に内閣不信任案が提出されると、竹下派からわかれた小沢・羽田グループ(改革フォーラム21)は、賛成にまわり同案は可決された。

自民党は大量の離党者を出したまま総選挙を行うも新生党、新党さきがけなど自民党から離れた議席を回復することが出来ず日本新党を中心とした野党勢力に敗れ、細川護熙に政権を明け渡す。

◆ 政界引退後

2003年総選挙の際、小泉純一郎自民党総裁は、衆院比例候補・定年73歳の徹底と「世代交代、若返り」という選挙運動方針を定め、それに則って中曾根・宮澤両元首相に対して、総選挙への立候補断念及び代議士引退を要請した。

宮澤は当初難色を示したがこれを受け、代議士を引退を決断(2000年第42回衆議院議員総選挙の時点で自らの福山の地盤を甥の宮澤洋一に譲って比例単独候補に転身していた。

2005年(平成17年)夏に体調を崩し、入院をした。
退院後は容貌が一変するほどに痩せ、周囲を心配させたが、その後も活発にテレビ出演などを続けてきた。

2006年(平成18年)7月に自宅で転倒して足を骨折して以降、表立った活動を控えていたが、翌2007年(平成19年)2月の政界関係者の会合には車椅子姿で参加。スピーチも行うなど元気な姿を見せたが、これが公の場に姿を見せた最後となった。

2007年6月28日午後1時16分、老衰のため東京都渋谷区神宮前の私邸で死去。87歳。

参院在職12年3ヶ月、衆院在職36年9ヶ月で国会議員在職合計49年0ヶ月。

特記事項

自民党長期支配38年の最後の首相であった。

在任期間が一年を超える首相経験者は大勲位菊花大綬章を受勲する事が慣例となっているが、遺族は本人の意向により勲章等は辞退した。

8月28日に、安倍晋三首相を葬儀委員長として、内閣・自由民主党合同葬が日本武道館で行われた。

◆ 宮沢 喜一 / 主な著書 ・ 単著

◇ 『東京 ― ワシントンの密談』(実業之日本社、1956年/中央公論社[中公文庫]、1999年)
◇ 『社会党との対話 ― ニュー・ライトの考え方』(講談社、1965年)
◇ 『戦後政治の証言』(読売新聞社, 1991年)
◇ 『聞き書宮澤喜一回顧録』(御厨貴・中村隆英編、岩波書店、2005年)

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