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音楽家、バンドマスター  小野 満 さん死去

2008年(平成20年)1月2日 死去 享年78歳

小野満写真  

音楽家、バンドマスター  小野 満 さん死去

ジャズベーシスト、バンドリーダーの 小野 満(おの みつる)さんが2008年(平成20年)1月2日、肺炎のため東京都八王子市内の病院で死去した。78歳だった。

ドラムスのジョージ川口とビッグ・フォーで活躍し、戦後のジャズブームを支えた。また、美空ひばりさんら多数の歌手の伴奏を務めた。2000年(平成12年)頃、心筋梗塞のため自宅で倒れ手術を受けていた。その後は長期にわたり闘病生活を送っていた。葬儀、告別式は近親者のみで済ませた。喪主は長男の明彦さん。

人物 / 略歴

小野 満(おの みつる、1929年1月3日 ~ 2008年1月2日)

千葉県市原市出身。音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。

ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイング・ビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍。

1967年から1983年までの17年間にわたり、スイング・ビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。

◆ 略 歴

現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。生家が貧しかったため、生後間もなく同じ市原市の小野家の養子となる。その後は姉崎の小野家の長男として育つ。

千葉県市原市立姉崎小学校卒業。千葉工業高校卒業。

◆ 芸能活動

千葉工業高校卒業後の1947年(昭和22年)、18歳で三木鶏郎バンドに入団。ジョージ川口、鈴木章治らと共に活動。

長尾正志とビーバップエイセスに入団し、活動した。

トランペットの後藤博とデキシーランダーズに入団し、活動した。

小野は三木鶏郎バンド、長尾正志とビーバップエイセス、後藤博とデキシーランダーズに在籍している頃に、音楽の研鑽を積みジャズの基礎を学んだ。

後藤博とデキシーランダーズは、当時銀座の一流ダンスホールであった美松に出演していた。

◆ ゲイセプテッド

1951年(昭和26年)レイモンド・コンデらに招かれてゲイセプテッドに入団、名声を高めた。当時の音楽バンドはGHQによってランク付けがなされており、ゲイセプテッドは数少ない「Special A」 であった。当時のメンバーはジョージ川口(ドラムス)、平岡精二(ヴィブラフォン)、チャーリィ脇野(ギター)、フランシスコ・キーコ(ピアノ)、ナンシー梅木(ヴォーカル)、小野満(ベース)。

◆ 池田操とリズムキングス

1953年(昭和28年)、池田操とリズムキングスにジョージ川口とともに入団。

◆ ビッグ・フォア

1954年(昭和29年)、ビッグ・フォアを結成、大人気を博す。メンバーはジョージ川口(ドラムス)、中村八大(ピアノ)、松本英彦(テナーサックス)、小野満(ベース)。

◆ 小野満とフォア・ブラザーズ

1955年(昭和30年)、小野満とフォア・ブラザーズを結成。メンバーは白木秀雄(ドラムス)、芦田ヤスシ(テナーサックス)、高見彰一(ピアノ)、小野満(ベース)。

◆ 小野満とシックス・ブラザーズ

1956年(昭和31年)、小野満とシックス・ブラザーズを結成。メンバーは北村英二(クラリネット)、チャーリィ脇野(ギター)、増田一郎(ヴァイブ)、太田幸雄(ピアノ)、佐藤イサオ(ドラムス、ウガンダ・トラの実父)、小野満(ベース)。

当時ジャズも歌っていた美空ひばりと共に演奏活動を行うなど、非常に人気を博した豪華メンバーによる実力派バンドであった。

◆ 小野満とスイング・ビーバーズ

1959年(昭和34年)、小野満とスイング・ビーバーズを結成。東京上野のダンスホール「新世紀」の専属バンドとしてスタート。名実共に、当時の日本を代表するビッグバンドであった。

1984年(昭和59年)、小野満とスイング・ビーバーズ解散。

解散の理由は、時代の流れとともに各メディアで歌番組などが無くなり、ビッグバンドの需要が減っていた事。そしてなによりも小野自身が慢性的な内臓疾患と糖尿病を患っていたことで、体力的に限界に達していた事であった。

小野満とスイング・ビーバーズはNHK紅白歌合戦の白組の演奏を、1967年(昭和42年)の第18回より1983年(昭和58年)の第34回まで、通算17回に渡り務めた。

◆ 美空ひばりとの関係

1956年(昭和31年)、小野は美空ひばりと婚約した。が、この婚約は後に解消された。

美空ひばりに、ジャズの手ほどきをしたのは小野である。小野満とシックス・ブラザーズが美空ひばりのバックバンドを務めていたこともあり、恋愛感情だけではなく強い信頼関係で結ばれていたという。

1957年(昭和32年)東京浅草国際劇場にて、美空ひばりが顔に塩酸をかけられるという事件が起こった。その際、小野はやけどを負った美空ひばりを背負い、走って病院へ向かった。小野の優しい人柄や機転の速さ、美空ひばりへの思いがよく現れているエピソードといえるだろう。

美空ひばりとの恋は、結婚という形では成就しなかった。

自身のバンド、チャーリィ脇野とゲイポップスを編成。チャーリィ脇野とゲイポップスは「後楽園の不死鳥コンサート」まで、美空ひばりのバックバンドと指揮を務めた。

小野は生涯、美空ひばりのファンであったという。車を運転する際には、ひばりのカセットテープやCDを聴いていた。

◆ 晩 年 / 引退後

現役引退後は、少しの間自宅と軽井沢にあった別荘で静養し、健康の回復に努めた。

首の神経を痛めたことが原因で足が不自由になる。

糖尿病の治療と足のリハビリのため、度々千葉県鴨川市の病院で療養する。

2000年頃、自宅で倒れ 救急車で新宿の東京女子医科大学病院へ搬送されたところ、心筋梗塞で危険な状態であった。手術を受けた結果、一命は取り留めた。しかし、その後は長期的にベッドでの生活となってしまい、長期に渡り闘病生活を送った。

2007年(平成19年)12月に肺炎を患い回復することなく、明くる2008年(平成20年)1月2日に78歳で永眠。この日は奇しくも小野の79歳の誕生日の前日であった。

特記事項

1956年(昭和31年)に小野は美空ひばりと婚約した。しかし、この婚約は後に解消された。

◆ 小野満 / 私生活

◇ 1958年(昭和38年)、母の薦めで 銀行員であった女性と結婚。一男二女を儲ける。
◇ 1966年(昭和41年)12月、自宅の火災により妻と長女が死亡。
◇ 1970年(昭和45年)、音楽関係者の女性と再婚した。

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