追悼の森 =水野晴郎さん死去=

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映画評論家  水野晴郎 さん死去

2008年(平成20年)6月10日 死去 享年76歳

水野晴郎写真  

映画評論家  水野晴郎 さん死去

「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」の名フレーズで有名な 映画評論家 水野 晴郎(みずの はるお)さんが2008年(平成20年)6月10日午後3時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。76歳だった。

1972年(昭和47年)からは日本テレビ系「金曜ロードショー」で映画解説を担当。親しみやすい笑顔と口ひげ、「いやぁ!映画って本当にいいもんですね」という決めゼリフで人気になった。葬儀は近親者だけで行う。後日、お別れの会を開く。

人物 / 略歴

水野 晴郎(みずの はるお、1931年7月19日 ~ 2008年6月10日)

岡山県高梁市に生まれる。

出生時の本名は水野 和夫(みずの かずお)であったが、山下奉文陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じたシベリア超特急シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した。

日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。

◆ 略 歴

1931年、岡山県高梁市に誕生。2歳からは満州で育ち、第二次世界大戦後は岡山県に引き揚げる。

慶應義塾大学文学部を7年かけて卒業。
元郵便局職員で「紙幣捌きの名人」と称されていた。
両親が早くに亡くなり、年の離れた妹を男手一つで育てた。

◆ 映画界へ

映画との出会いは戦後であった。
東京に出て、淀川長治の「映画の友」友の会に参加。淀川からは「水やっこ」と呼ばれて目をかけられた。会で日野康一らと出会う。

1956年、20世紀フォックス映画にアルバイトとして採用され、のち正社員となって宣伝部へ。

5年後に日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。

ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』や『史上最大の作戦』『真夜中のカーボーイ』『夕陽のガンマン』、『追想』、意図的に誤字を使った『007/危機一発』などの邦題を考案したのも水野といわれる。

この間、1960年代には本名の水野和夫名義で、また独立後は水野晴郎名義で、「スクリーン」「キネマ旬報」「映画評論」などの映画雑誌に映画評などを多数執筆している。

また「スクリーン」には2000年代前半ごろまで「水野晴郎対談」や「アカデミー賞受賞作に見るアメリカ映画の楽しさ」など多数の連載を持っていた。

◆ 金曜ロードショーの解説者として

独立後は1972年10月4日から、日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(1972年~1985年までは『水曜ロードショー』)の解説を担当。一方、自身の会社「インターナショナル・プロモーション」で、ヒッチコックの『バルカン超特急』など、ヨーロッパ映画の配給を行った。

1983年6月、初の拘束名簿式比例代表制による選挙が行われた第13回参議院議員通常選挙比例代表区に確認団体「新自由クラブ民主連合」から名簿順位第3位で出馬し、落選した(新自由クラブ民主連合の獲得議席は1。当選者は田英夫)。

選挙出馬のため、水曜ロードショーの解説を1983年6月から降板していたが、1985年4月に復帰。1997年3月まで24年半に渡って解説を続け、「いやぁ、映画って本当(ほんっとう)にいいもんですね」のセリフとともに水野の知名度を飛躍的に上げることになった。

◆ 晩 年

晩年の2000年代前半には体重の増加で肝臓が悪くなっており、骨粗鬆症にもなっていた。

2006年1月には吐血して意識不明にもなっている。

2007年6月29日、映画の試写室で階段踏み外しによる転倒で背骨を圧迫骨折して全治3ヶ月の重傷を負った(2004年にも映画の撮影中に同じ個所を骨折している)。

同年12月13日に自宅で転倒、肋骨を骨折し動けずにいたところを所属事務所関係者に発見され、12月17日までに入院した。

2008年4月ごろにはペンすら持てなくなったが、それでもなお口述筆記で製作活動を続けていたほか、長年の夢であった「水野晴郎映画塾」を立ち上げた。

2008年6月10日(15時05分)肝不全により死去、76歳没。生涯、独身であった。

江頭2:50の著書「エィガ批評宣言」の帯のコメントが最後の仕事であった。

特記事項

マイク・ミズノ (Mike Mizno) の愛称でも知られる。

7月17日に品川プリンスホテルにて、水野自身が創設した「日本映画批評家大賞」主催で偲ぶ会が開かれた。

◆ 水野 晴郎 / 著書

◇ 『映画のわかる本』(広済堂出版、1976年)
◇ 『いやあ!映画って本当にいいもんですね』(渓声社、1977年)
◇ 『いやあ!映画って本当にいいもんですね(続)』(渓声社、1977年)
◇ 『ザ・お巡りさん:世界の警察直撃取材』(渓声社、1978年)
◇ 『映画について語りましょう : 水野晴郎対談集』(近代映画社、1978年)
◇ 『水曜日は映画の気分』(冬樹社、1981年)
◇ 徳大寺有恒、斉藤忠直著、水野晴郎監修『パトカー図鑑:世界の警察カタログ』(ワールドフォトプレス、1979年)
◇ 『わが応援歌(続) : 鮮烈にとらえた警察官・真実の姿』(立花書房、1981年)
◇ 『アメリカン・ポリス体験旅行』(早川書房、1981年)
◇ 『ザ・お巡りさん(続):第一線警察官への手紙』(渓声社、1981年)
◇ 『パトカーで駆けめぐるニューヨークの昼と夜』(近代映画社,1982年)
◇ 『世界の警察』(警察時報社、1985年)
◇ 『映画がいっぱい』(日本テレビ放送網、1985年)
◇ 『映画がいっぱい. 2』(日本テレビ放送網、1986年)
◇ 水野晴郎ほか『日本のスター : インタビュー』(キネマ旬報社、1986年)
◇ 『世界のお巡りさん24時』(読売新聞社、1088年)
◇ 『ハリウッド100年』(勁文社、1990年)
◇ 『水野晴郎の映画365』(日本テレビ放送網、1990年)
◇ 『映画の旅はロマンでいっぱい』(ミリオン書房、1991年)
◇ 『母の愛、そして映画あればこそ… : 夢と希望を追い続けたわが六十年』(近代映画社、1991年)
◇ 『ビデオで観る100本の洋画』(PHP研究所、1992年)
◇ 『水野晴郎のわが映画人生』(近代文芸社、1994年)
◇ 『水野晴郎と銀幕の花々 : 日本映画の大女優たち』(近代文芸社、1996年)
◇ 『シベリア超特急連続殺人事件』(七賢出版、1996年)ISBN 4883043142
◇ 水野晴郎監修『シベリア超特急ファンブック』(ソニー・マガジンズ、2002年)

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