追悼の森 =藤倉修一さん死去=

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元NHKアナウンサー  藤倉修一 さん死去

2008年(平成20年)1月11日 死去 享年93歳

藤倉修一写真  藤倉修一訃報

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元NHKアナウンサー、放送評論家  藤倉修一 さん死去

終戦直後のラジオ番組「街頭録音」や、第1回紅白歌合戦の司会を務めた元NHKアナウンサーで放送評論家の 藤倉 修一(ふじくら しゅういち)さんが2008年(平成20年)1月11日午後4時53分、心不全のため死去した。93歳だった。

柔和な語り口で、人気クイズ番組「20の扉」や「紅白歌合戦」の第1回(1951年)、第2回(1952年)の司会でも親しまれた。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は二男の正人(まさと)さん。

人物 / 略歴

藤倉 修一(ふじくら しゅういち、1914年3月12日 ~ 2008年1月11日)

東京都大田区出身。放送評論家。元NHKアナウンサー。

第1回NHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。日本のラジオ全盛期を代表する名アナウンサーのひとりである。

◆ 略 歴

法政大学卒業。1940年、NHKにアナウンサーとして入局。

終戦直後の1946年5月6日から放送を開始したラジオ番組『街頭録音』の専属インタビュアーとなる。

ラジオ番組『街頭録音』は 時の話題をテーマに大衆の生の声を直接聞くというものだが、当時は一般の人々がインタビュー慣れしていないこともあってマイクを避けることが多々有り、柔和な語り口で呼び止める様子などが放送され反響を呼ぶ。日本における突撃インタビュー番組の先駆けであった。

1947年には、日本のドキュメンタリー番組の先駆けである『社会探訪』(『世相録音』から改称)を担当、『二十の扉』では司会を務めた。『二十の扉』は藤倉アナウンサーと解答者のやり取りがうけ、丹下キヨ子らのスターが生まれたこともあり1960年まで放送されて当時のNHKラジオの看板番組となった。

この間、第1回NHK紅白歌合戦(1951年)、第2回NHK紅白歌合戦(1952年)の白組司会、エリザベス女王戴冠式中継(1953年)の実況などを担当。

1970年にNHKを定年退職後は民放の番組へ出演したり、NHKの後輩・高橋圭三が学園長を務めるアナウンス学園(渋谷区)で校長を務め、後進の育成に尽力した。

2008年1月11日午後4時53分、心不全のため死去。93歳没。葬儀は19日に近親者のみで済ませ、公表されたのは22日であった。

特記事項

1945年6月、観客が傷痍軍人だけの大相撲の本場所(旧両国国技館、夏場所)が催されたことがあり、このラジオ実況を担当したのが藤倉修一であった。

日本国内が平静であることを海外に向けて宣伝するための興行であり、国内に向けたラジオ放送ではなく対外プロパガンダのための放送だった。後に著書の中で、この時の自身のことを「悲しいピエロ」にたとえている。

◆ 藤倉修一 / 著書

◇ マイクとともに(1952年、講談社刊)

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