追悼の森 =フランク永井さん死去=

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歌手  フランク永井 さん死去

2008年(平成20年)10月27日 死去 享年76歳

フランク永井写真  

歌手  フランク永井 さん死去

「有楽町で逢いましょう」「おまえに」などのムード歌謡で知られ、魅惑の低音で人気のあった歌手の フランク 永井(フランク ながい)さんが2008年(平成20年)10月10月27日午後6時、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。76歳だった。

1985年(昭和60年)10月21日、自宅で首つり自殺未遂を起こした。一命は取りとめたものの脳に障害が残り会話が不自由となったほか、記憶が乏しくなるなどの後遺症を患っていた。葬儀は密葬で行われた。喪主は実姉。

人物 / 略歴

フランク 永井(フランク ながい、1932年3月18日 ~ 2008年10月27日)

宮城県志田郡松山町(現:大崎市)出身。本名は永井 清人(ながい きよと)。日本のムード歌謡歌手。

独特の低音で多くの人を魅了し、歌謡界に大きな軌跡を残した。

◆ 略 歴

◆ 歌手デビュー

幼少時に父を亡くしたが、母が映画館経営をしていたため、不自由なく育つ。

昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京。アメリカ軍のクラブ歌手として月100ドルで契約する。

1955年(昭和30年)に日本テレビの『素人のど自慢』の年間ベストワンに選ばれたのを機に、ビクターと契約。

同年9月に『恋人よ我に帰れ』でデビューした。

1957年(昭和32年)の有楽町そごう(2000年に閉店)キャンペーンソングであった『有楽町で逢いましょう』が空前のヒットとなり、一躍トップスターとなる。

松尾和子と共に歌った1959年(昭和34年)の『東京ナイト・クラブ』は、デュエットソングの定番として2000年代においても歌い継がれている。

◆ 日本レコード大賞受賞

1961年(昭和36年)には二村定一のヒット曲『君恋し』をジャズ風にカバーし大ヒット。同年の第3回日本レコード大賞を受賞。

吉田とのコンビでも『霧子のタンゴ』、『妻を恋うる唄』などのヒットに恵まれたが、なかでも1966年(昭和41年)に『大阪ろまん』のB面収録曲として発表された『おまえに』は、6年後の1972年(昭和47年)にはA面として再発売され、さらに5年後の1977年(昭和52年)には、新規に再録音された。

約5年毎に大きなリサイタルを開いたが、そのうちのいくつかは芸術祭で賞を受けたほどの語り草になっている。

日本レコード大賞では大賞を1回、歌唱賞を2回、特別賞を3回受賞している。

NHK紅白歌合戦の常連出場者としても知られ、1957年(昭和32年)の第8回から1982年(昭和57年)の第33回まで連続26回出場し、現役出場時は島倉千代子と並んで最多出場者の記録を持っていた。

◆ 自殺未遂 / その後

1985年(昭和60年)10月21日、自宅にて首吊り自殺を図る。

その原因は数日後に、愛人との間の子供の認知と養育費の請求を苦によるものと報道された。夫人の発見が早かったこともあり、一命は取りとめたものの脳に障害が残り、会話が不自由となったほか、記憶が乏しくなるなどの後遺症を患った。

家族や関係者は、四国での転地療養などさまざまな方法を試みたが好転しなかった。最晩年は幼児レベルの知能状態だったとも伝えられている。

愛妻家として知られたが夫婦の間に子どもはなく、1959年に結婚以来四半世紀以上連れ添ったシズ子夫人は永井の介護問題および財産問題での親族とのトラブルによる心労から鬱病を患い、1991年3月23日には自宅で自殺未遂騒動を起こした。

1992年6月21日に夫人とは離婚し、その後は実姉の美根子と一緒に暮らしていたが、実姉が高齢であることや金銭的問題から自宅も売却し、永井は実姉とともに高級施設へ入居し、介護されていた。

2008年(平成20年)10月27日、東京の自宅で肺炎のため逝去。76歳没。

特記事項

2009年3月2日に出身地である宮城県大崎市の「特別功績者」第1号に選ばれる。

また、2009年10月27日には、同市の大崎市松山ふるさと歴史館において、愛用品などを展示するフランク永井展示室がオープンした。

◆ フランク永井 / 主な作品

◇ 13800円 1957年(昭和32年) - 13800円は、当時の大卒初任給の平均額
◇ 東京午前三時 1957年(昭和32年)
◇ 夜霧の第二国道 1957年(昭和32年)
◇ 有楽町で逢いましょう 1957年(昭和32年) - 有楽町そごうのキャンペーンソング。
◇ 羽田発7時50分 1958年(昭和33年)
◇ 街角のギター 1958年(昭和33年)
◇ 西銀座駅前 1958年(昭和33年)
◇ こいさんのラブ・コール 1958年(昭和33年)
◇ ラブ・レター 1958年(昭和33年)
◇ 俺は淋しいんだ 1958年(昭和33年)
◇ 夜霧に消えたチャコ 1959年(昭和34年)
◇ 東京ナイト・クラブ 1959年(昭和34年) - 松尾和子とのデュエット曲。
◇ 恋夜 1959年(昭和34年)
◇ 冷いキッス 1959年(昭和34年)
◇ 好き 好き 好き 1960年(昭和35年)
◇ 大阪野郎 1960年(昭和35年)
◇ 東京カチート 1960年(昭和35年)
◇ 君恋し 1961年(昭和36年) - 元は二村定一のヒット曲(1928年(昭和3年))。
◇ 悲しみは消えない 1962年(昭和35年)
◇ 初恋の詩 1962年(昭和35年)
◇ 霧子のタンゴ 1962年(昭和37年)
◇ 新東京小唄 1962年(昭和37年)
◇ 赤ちゃんは王様だ 1963年(昭和38年)
◇ 戦場の恋 1963年(昭和38年)
◇ 逢いたくて 1963年(昭和38年)
◇ 冬子という女 1964年(昭和39年)
◇ 国道18号線 1964年(昭和39年) - 松尾和子とのデュエット曲。
◇ 大阪ぐらし 1964年(昭和39年)
◇ 悲恋のワルツ 1964年(昭和39年)
◇ 恋うた(ラブ・コール) 1964年(昭和39年)
◇ わたしゃ人生大学生 1965年(昭和40年)
◇ 妻を恋うる唄 1965年(昭和40年)
◇ 返しておくれ今すぐに 1965年(昭和40年) - ザ・ピーナッツ、ボニージャックスとの競作。
◇ 東京しぐれ 1965年(昭和40年)
◇ 大阪ろまん 1966年(昭和41年)
◇ 船場ごころ 1967年(昭和42年)
◇ 加茂川ブルース 1968年(昭和43年)
◇ おまえに 1977年(昭和52年) - 元は「大阪ろまん」B面曲。1972年(昭和47年)にもシングル発売。
◇ 11時過ぎから 1977年(昭和52年) - 松尾和子とのデュエット曲。
◇ 公園の手品師 1978年(昭和53年)- 永井自身によるリメイク。元は1958年(昭和33年)の作品。
◇ WOMAN 1982年(昭和57年) - 山下達郎プロデュース作品。
◇ 六本木ワルツ 1985年(昭和60年) - 生前最後のレコーディング曲となった。

◆ フランク永井 / 受賞歴(日本レコード大賞)

◇ 1959年(昭和34年) - 「夜霧に消えたチャコ」 - 第1回・作曲賞、歌唱賞
◇ 1961年(昭和36年) - 「君恋し」 - 第3回・大賞
◇ 1962年(昭和37年) - 「月火水木金土の歌」 - 第4回・作詞賞
◇ 1963年(昭和38年) - 「赤ちゃんは王様だ」 - 第5回・歌唱賞
◇ 1973年(昭和48年) - 第15回・制定15周年記念賞
◇ 2008年(平成20年) - 第50回・特別功労賞

◆ フランク永井 / その他の賞

◇ 1965年(昭和40年) - リサイタル「慕情-歌と共に10年」 - 芸術祭奨励賞
◇ 1970年(昭和45年) - リサイタル「ある歌手の喜びと悲しみの記録」 - 芸術祭優秀賞
◇ 1971年(昭和46年) - 芸術選奨文部大臣賞(歌謡曲歌手として初の受賞)

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