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映画監督  市川 崑 さん死去

2008年(平成20年)2月13日 死去 享年92歳

市川崑写真  

映画監督  市川 崑 さん死去

戦後日本の映画界をリードしてきた映画監督で文化功労者の 市川 崑(いちかわ こん)さんが2008年(平成20年)2月13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。

ドキュメンタリー映画『東京オリンピック』(1965年)ではカンヌ国際映画祭で国際批評家賞などを受賞。ベルリン国際映画祭では特別功労賞を受けた。また、2001年(平成13年)のモントリオール世界映画祭では功労賞を受賞した。今年1月24日から息苦しさを訴え入院していた。

人物 / 略歴

市川 崑(いちかわ こん、1915年(大正4年)11月20日 ~ 2008年(平成20年)2月13日)

三重県宇治山田市(現:伊勢市)に生まれる。幼名は市川 儀一。映画監督。

娯楽映画から実験的映画、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、昭和の日本映画黄金期から21世紀初頭まで、第一線で映画制作に取り組んだ。

◆ 略 歴

三重県宇治山田市(現:伊勢市)生まれ。

呉服問屋であったが父が急死し4歳から伯母の住む大阪市西区九条、に移りその後脊椎カリエスで長野県に転地療養。その後広島市に住む。

幼少時は市川儀一という名前で、成人してから市川崑に改名した。改名の理由は、市川自身が漫画家の清水崑のファンであったからとも、姓名判断にこっていた伯父の勧めからとも言われている。

17歳のときに信州での初恋の女性をモデルに書いた「江戸屋のお染ちゃん」を週刊朝日に投稿し当選する。

召集令状は2度きたが、脊椎カリエス、腹膜炎でともに免除となった。

1936年(昭和11年)には脚本・作画・撮影・編集をすべて一人でおこなった6分の短編アニメ映画『新説カチカチ山』を発表。

漫画部の閉鎖とともに実写映画の助監督に転じ、伊丹万作、阿部豊らに師事。

京都撮影所の閉鎖にともなって東京撮影所に転勤する。この東宝砧撮影所は、以後、短い新東宝時代、10年程度の日活・大映時代を除き、没後の「お別れの会」に至るまで終世のホームグラウンドとなった。

◆ 戦 後

広島にいた母を含む家族8人全員が1945年8月6日被爆したが全員無事であった。

終戦を29歳で迎え、その時には実写の助監督に戻っていた。その後市川は実写映画に活動の場を移した。市川はアニメーションから実写映画に転身して成功を収めた数少ない映画人である。

1955年(昭和30年)にはその前年映画制作を再開したばかりの日活に移籍。『ビルマの竪琴』で一躍名監督の仲間入りを果たし、さらに大映に移籍。文芸映画を中心に『鍵』、『野火』、『炎上』、『破戒』、『黒い十人の女』、『日本橋』、『ぼんち』、『私は二歳』、『雪之丞変化』など名作を毎年のように発表して地位を確立した。

とりわけ1960年(昭和35年)の『おとうと』は大正時代を舞台にした姉弟の愛を宮川一夫のカメラで美しく表現、自身初のキネマ旬報ベストワンに輝く作品となった。

また石原裕次郎主演で『太平洋ひとりぼっち』(1962年(昭和37年))を撮るなど、意欲的な映像活動に取り組んでいたのもこの時期のことである。

◆ 東京オリンピック

1965年(昭和40年)には総監督として製作した『東京オリンピック』が一大センセーションを起す。市川はオリンピックは筋書きのない壮大なドラマに他ならないとして、開会式から閉会式に至るまでの緻密な脚本を和田夏十・谷川俊太郎・白坂依志夫とともに書き上げ、これをもとにこのドキュメンタリー映画を撮りあげた。

60年の監督生活を長期間特定の会社に専属することなく過ごし、なおかつ低落し続ける日本映画界でほとんどブランクなく撮り続けた実績は驚異的であるが、これだけ各社を飛び回りながら、大手映画会社では松竹とだけ縁がなかった(東映は東横映画時代に1本撮っている)。

1980年代に半村良の「妖星伝」映画化が同社製作で発表され、そのほか池波正太郎作品映画化(作者が市川を高く評価していた)やシネマジャパネスクでも名前があがったが、いずれも実現しなかった。

2008年2月13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年92歳。

特記事項

代表作に『ビルマの竪琴』『おとうと』『野火』『東京オリンピック』『犬神家の一族』『細雪』などがある。

◆ 市川 崑 / 映画賞 受賞作

◇ 1956年(昭和31年) 『ビルマの竪琴』・・・
エディンバラ国際映画祭グランプリ / ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞 / アカデミー賞外国語映画賞 / リスボン国際映画祭審査員特別賞
◇ 1959年(昭和34年) 『野火』で ロカルノ国際映画祭グランプリ / バンクーバー国際映画祭カナダ映画協会賞
◇ 1960年(昭和35年) 『鍵』で カンヌ国際映画祭審査員賞 / ゴールデングローブ賞外国語映画賞
◇ 1961年(昭和36年) 『おとうと』で カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション
◇ 1962年(昭和37年) 『私は二歳』で アジア映画祭監督賞
◇ 1965年(昭和40年) 『東京オリンピック』・・・
カンヌ国際映画祭青少年向映画賞 / UNICRIT賞 / 英国アカデミー賞長編記録映画賞 / 国連平和賞 / モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞
◇ 1983年(昭和58年) 『細雪』で アジア太平洋映画祭グランプリ / 同・監督賞
◇ 1984年(昭和59年) 『おはん』で アジア太平洋映画祭審査員特別賞
◇ 1994年(平成6年) 『四十七人の刺客』で 東京国際映画祭審査員特別賞
◇ 2000年(平成12年) ベルリン国際映画祭特別功労賞
◇ 2001年(平成13年) モントリオール世界映画祭功労賞、第19回川喜多賞
◇ 2007年(平成19年) 東京国際映画祭黒澤明賞

◆ 市川 崑 / 叙位 ・ 叙勲

◇ 1982年(昭和57年) - 紫綬褒章
◇ 1988年(昭和63年) - 勲四等/旭日小綬章
◇ 1994年(平成6年) - 文部省文化功労者選出
◇ 2008年(平成20年) - 正四位/旭日重光章

◆ 市川 崑 / 映画(2000年以降)

◇ 『どら平太』(2000年、『どら平太』製作委員会=日活)
◇ 『新選組』(2000年、フジテレビ=メディアポックス)
◇ 『かあちゃん』(2001年、映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画)
◇ 黒い十人の女 2002.9.21
◇ 『犬神家の一族』(2006年、角川映画)
◇ 『ユメ十夜』(2007年、バイオタイド=日活)※第二夜を担当

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