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ロック歌手  忌野清志郎 さん死去

2009年(平成21年)5月2日 死去 享年58歳

忌野清志郎写真  

ロック歌手  忌野清志郎 さん死去

「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふや、奇抜な衣装と演出で知られたロック歌手の 忌野 清志郎(いまわの きよしろう)さんが2009年(平成21年)5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症のため京都市内の病院で死去した。58歳だった。

2006年(平成18年)に喉頭癌(こうとうがん)で入院治療を受けていた。2008年2月10日に日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、活動を再開したが。同年7月、左腸骨への癌の転移を発表し、再びライブ活動を休止していた。

人物 / 略歴

忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日 ~ 2009年5月2日)

東京都中野区に生まれ、国分寺市育ち。本名は栗原 清志(くりはら きよし)。ロックミュージシャン。

RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎&忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。RCサクセションの「KING OF LIVE」からの流れで、KING OF ROCKの異称を取った。

◆ 略 歴

◆ 少年時代からバンドデビューまで

国分寺市立第三中学校時代にエレキブームに刺激を受け、ベンチャーズなどのカバーバンド「No Name」を結成、音楽活動を始める。

1966年初頭、フォークブームに刺激を受け、同級生でバンド仲間だった小林和生(のちの林小和生)、桶田賢一(のちの破廉ケンチ)と共に「The Clover」を結成するが、東京都立日野高等学校進学に伴い、活動は停滞する。

バンドの解散/再編(The Clover→「The Remainders of The Clover」→「The Remainders of The Clover Succession」、1968年に「R.C.サクセション」に定着)を繰り返す。

1970年、フォークグループRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビュー。

1972年、シングル「僕の好きな先生」が小ヒットしたものの後が続かず、また事務所関係のトラブルが発生したこともあり、長期にわたってバンド活動は低迷する。

その間、忌野は井上陽水との共作「帰れない二人」「待ちぼうけ」(ともに『氷の世界』収録)、かぐや姫への作詞提供「あの唄が想い出せない」(『はじめまして』収録) などの印税で糊口を凌いだ。

◆ バンド全盛期からソロ活動まで

1976年、事務所を「ホリプロ」から「りぼん」に移籍。スタジオミュージシャンを大々的に起用したアルバム『シングル・マン』を発表。 以降、徐々にロックバンド化(俗に「エレキ化」と言われる)。 1977年からメンバーの脱退・加入を繰り返しながら、精力的なライブ活動を展開。

1978年半ば頃から徐々にライブハウスでの人気が出始め、この時期からデヴィッド・ボウイ等のグラムロック一派やミック・ジャガーの影響で化粧を始め、またパンク・ファッションの影響でパンクヘアにカットしたことから、独特の奇抜な風貌になる。

1979年には音楽ライターの吉見佑子が『シングル・マン』再発実行委員会を組織するなど、音楽的に評価する空気が高まる。

1980年のシングル「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」、アルバム『RHAPSODY』のヒットで、YMOの坂本龍一と並び、RCサクセションの忌野清志郎はメディアの寵児として取り上げられることになった。

1982年、坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発表。これ以降、RCサクセションとしての活動のかたわら、数多くのユニットでも活動。

このころ、ハードスケジュールなどがたたって肝臓を病むが、東洋医学などの文献を読み漁り家庭治療を実践し、奇跡的に完治している。

1984年、この時期の事務所の対応に不満を募らせ事務所「りぼん」から独立。

1987年、初のソロアルバム『RAZOR SHARP』を発表。

1990年9月、アルバム『Baby a Go Go』発売し、それに付随するツアーの最終日の武道館公演(12月25日)

1991年、RCサクセションは無期限活動休止を表明。RCサクセションの事務所「うむ」も解散したため、忌野は個人事務所「ベイビィズ」を設立。

1994年、映画『119』に音楽監督として参加し、翌1995年の第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。

1999年、「忌野清志郎 Little Screaming Revue」のアルバム『冬の十字架』、2000年に「ラフィータフィー」のアルバム『夏の十字架』が三度発売中止騒動に巻き込まれるなどトラブルを数多く抱えるなか、デビュー30周年記念のトリビュートコンサート「RESPECT!」を日本武道館で開催し、多くのミュージシャンが忌野(およびRCサクセション)の楽曲を演奏した。

◆ 入院生活 / 最期のメッセージ

2006年7月13日、公式ウェブサイト「地味変」にて喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止する。

癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、放射線や抗癌剤での完治を図り、入院後2週間で代替医療へと治療法を変更。これは、がんセンターでの現代医学的な治療計画では胃に穴を開けての流動食生活となることを余儀なくされ、これに伴い唾液腺が消滅し、唾液が出ないためステージで歌うのは困難になると言われたことから。

2007年1月、石田長生のライブにシークレットゲストとして出演して以降、徐々に活動を再開した。

2008年2月10日、日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、本格的に活動を再開する。

2008年7月14日、公式ウェブサイト「地味変」にて左腸骨への癌の転移を発表し、再びライブ活動を休止。

通院して治療に専念する一方で、楽曲提供や他ミュージシャンのレコーディング参加、ライブへの飛び入り参加などを続けていた。

2009年2月以降に体調が悪化。体調不良で東京都内の病院に入院。

2009年5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症のため京都内の病院で死去した。享年58歳。

特記事項

2009年3月、病床でにファンに向けてデビュー39年記念イラスト「39!BABY」を書き上げ、これが最期のメッセージになった。

◆ 忌野清志郎 / 音楽作品(シングル)

◇ い・け・な・いルージュマジック (1982年2月14日) - 忌野清志郎+坂本龍一
◇ S.F. (1986年3月21日) - 忌野清志郎, JOHNNY, LOUIS & CHAR
◇ AROUND THE CORNER 曲がり角のところで (1987年2月4日)
◇ E-JAN (1987年9月5日)
◇ デイドリーム・ビリーバー (1989年10月11日) - THE TIMERS
◇ ロックン仁義 (1989年12月13日) - THE TIMERS
◇ パパの歌 (1991年5月2日) - 清水建設のCMソングとして使用された。
◇ 夜空の誓い (1991年6月28日) - HIS
◇ パパのカラオケ (1991年8月9日) - トーサンズ
◇ 日本の人 (1991年11月13日) - HIS
◇ 世間知らず (1992年2月12日)
◇ パパの手の歌 (1992年6月3日) - 忌野清志郎 & 2・3'S 清水建設CMソング第2弾。
◇ いつか観た映画みたいに (1992年9月30日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
◇ お兄さんの歌 (1993年1月20日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
◇ プライベート (1993年10月27日) - 忌野清志郎 & 2・3'S
◇ サラリーマン (1994年5月11日)
◇ サヨナラはしない (1995年4月8日) - THE TIMERS
◇ 君にだけわかる言葉 (1995年11月1日)
◇ Good Lovin' (1996年1月31日)
◇ 世界中の人に自慢したいよ (1996年4月24日)
◇ パーティーをぬけだそう! (1996年11月25日) - 忌野清志郎と篠原涼子
◇ メロメロ (1997年6月18日) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
◇ サンシャイン・ラブ (1998年9月23日) - 忌野清志郎 Little Screaming Revue
◇ QTU (1999年7月28日)
◇ 水の泡 (2001年3月10日) - ラフィータフィー
◇ プーアの森へ (2002年4月24日)
◇ ガンバレ日本 (2002年4月24日) - 木梨憲武+忌野清志郎
◇ 青い星 (2002年6月19日) - LOVE JETS
◇ 強烈ロマンス (2002年10月30日) - ミツキヨ (及川光博とのユニット)
◇ 宇宙大シャッフル (2003年7月2日) - LOVE JETS
◇ UFO神社 (2003年7月2日) - LOVE JETS
◇ ONABE (2004年11月10日) - サルサガムテープ with 忌野清志郎
◇ JUMP (2004年11月26日)
◇ 雨上がりの夜空に35 (2005年2月9日) - 忌野清志郎 feat.RHYMESTER
◇ 愛を謳おう (2005年7月27日) - 忌野清志郎 with 井上陽水
◇ 仕草 (2005年12月7日)
◇ 走れ何処までも (2009年1月21日)
◇ Oh! RADIO (2009年6月17日)

◆ 忌野 清志郎 / 関連CM

◇ ダイハツ
◇ 三菱自動車・ミラージュ - CMソングは「ベイビー! 逃げるんだ。
◇ PARCO - RCサクセション時代メンバーと共に出演。
◇ エースコック・スーパーカップ - ザ・タイマーズとしてCMソングを提供。
◇ 清水建設 - 「パパの歌」がCMソングに使われた。忌野自身も出演。
◇ 中外製薬・グロンサン
◇ 日産自動車 キューブ 「軽でどうだ!」のCMが印象的だった。
ほか、多数

◆ 忌野 清志郎 / 受賞歴

◇ 1990年、第32回日本レコード大賞 優秀アルバム賞 (RCサクセション - Baby a go go)
◇ 1992年、アメリカ合衆国、テネシー州、メンフィス市 名誉市民
◇ 1995年、日本アカデミー賞 優秀音楽賞(119)
◇ 2009年、第51回日本レコード大賞 特別功労賞

◆ 忌野 清志郎 / 著 書

◇ エリーゼのために 忌野清志郎詩集(詩集、彌生書房 1983年)
◇ 忌野旅日記(エッセイ、音楽之友社 1986年・新潮文庫 1993年)
◇ 十年ゴム消し(私小説風エッセイ、六興出版 1987年・河出文庫 2000年)
◇ 瀕死の双六問屋(エッセイ集、光進社 2000年[14]、小学館文庫 2007年)
◇ ブーアの森(せがわきり作の絵本。忌野は絵を担当。TOKYO FM 出版 2002年)
◇ 君が僕を知ってる(新美敬子の写真とのコラボ詩集、洋泉社 2003年)
◇ おとうさんの絵(相馬公平作の絵本。忌野は絵を担当。マガジンハウス 2003年)
◇ Bad Cat バッドキャット(トレーシー・リー、マクギナス・ケリー作の絵本。忌野は翻訳を担当。ブロンズ新社 2003年)
◇ サイクリング・ブルース(自転車指南書、小学館 2006年)

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