追悼の森 =頼近美津子さん死去=

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元アナウンサー  頼近美津子 さん死去

2009年(平成21年)5月17日 死去 享年53歳

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元アナウンサー  頼近美津子 さん死去

元アナウンサーの 頼近 美津子(よりちか みつこ)さんが2009年(平成21年)5月17日午後1時46分、心不全のため千葉県柏市の病院で死去した。53歳だった。

2年前に食道がんの診断を受け、今年4月13日に体調を崩して入院していた。フジサンケイグループ創業家に嫁いだ玉の輿婚でも知られ、1986年(昭和61年)にフジテレビを退社し、当時フジテレビの副社長だった鹿内春雄氏と結婚した。その後、2児を儲けるも わずか4年後の1988年(昭和63年)、春雄氏は42歳で病死している。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く。喪主は長男の鹿内雅雄(しかない まさお)さん。

人物 / 略歴

頼近 美津子(よりちか みつこ、1955年8月1日 ~ 2009年5月17日)

広島県安芸郡府中町出身。本名は鹿内キャサリーン美津子。 旧姓は頼近。

テレビアナウンサーとしてNHKに勤め、後にフジテレビに転じた。また、後年にはコンサート・プランナー、司会、女優としても活動した。

フジサンケイグループ創業家に嫁いだ玉の輿婚でも知られ、結婚後の姓で「鹿内 美津子」とも名乗った。

◆ 略 歴

広島大学附属高等学校を経て、東京外国語大学卒業。

祖父母は広島からアメリカへ移住した日系一世だった。父親はアメリカ生まれの日系二世で、第二次世界大戦後に広島市に移り、原爆傷害調査委員会(通称:ABCC、現在の放射線影響研究所)に勤務した。

頼近は幼少時からピアノとチェロを学び、小学校3年生のとき広島に桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室が開設されるとこれに通った。

齋藤秀雄に才能を見込まれ、東京に出て本格的にチェロを学ぶことを勧められたが家族会議の末に断念。広島の進学校に高校卒業まで通った後、東京外国語大学に進学した。

◆ NHKアナウンサー

1978年(昭和53年)に東京外語大学を卒業すると、NHKに入局した。

入局翌年に放送が開始されたゴールデンタイムのバラエティ番組、『ばらえてい テレビファソラシド』の司会進行役として異例の抜擢をされ、「女性アナウンサーが芸能番組に主役で登場するのはNHK開局以来」と言われた。

1980年(昭和55年)4月から始まったNHK初の早朝ニュースショー、『NHKニュースワイド』でも、初代女性キャスターを務めた(森本毅郎とのコンビ)。

注目が高まっていた1981年(昭和56年)4月、頼近はフジテレビに移籍した。

◆ フジテレビアナウンサー

フジテレビでは同局史上初の女性正社員となる。それまでフジテレビは、女性は全員契約社員でのみ採用する方針を貫いており、益田由美や城ヶ崎祐子らも当時は契約社員であった。移籍金は1,200万円とも2,000万円とも3,000万円とも言われ大きな話題を呼んだ。年収も300万円から1,200万円に跳ね上がったとされ、現在のフリー転向の流れの先駆け的存在でもあった。

鳴り物入りでフジテレビに迎えられ『小川宏ショー』の新アシスタントになるが、同番組は一年後に終了。続いて露木茂と組んで『ニュースレポート11:30』を担当した。

◆ 玉の輿結婚

1984年(昭和59年)、当時フジテレビの副社長だった鹿内春雄と結婚(春雄は再々婚)しフジテレビを退社。これも玉の輿婚とマスコミを賑わせた。

2児をもうけるも、結婚からわずか4年後の1988年(昭和63年)、春雄はB型肝炎による急性肝障害のため42歳で病死し、頼近は未亡人となった。

◆ 夫との死別後

フジテレビは春雄の後継問題と社内抗争で揺れ、美津子は1990年(平成2年)、2人の息子とともに渡米した。頼近はワシントンD.C.に居住し、スミソニアン博物館でボランティアとして働いた。

春雄は豪邸の他、フジテレビの親会社にあたるニッポン放送株を大量に所有しており、実質的にはその株のほとんどを未亡人である頼近が相続することになり、フジテレビは美津子の支配下に置かれかねない状況となっていた。

これに慌てた春雄の父・鹿内信隆はなりふり構わずニッポン放送株を取り戻そうとして、美津子が相続した時価にすれば100億円は下らないニッポン放送株は鹿内家に6,600万で買い戻された。

1993年(平成5年)、古巣のNHKでテレビ復帰。

1996年(平成8年)には、NHK大河ドラマ『秀吉』に出演。

同年12年ぶりにフジテレビ『来日直前!三大テノール』の司会者として復帰。

コンサートプランナーやクラシックコンサートの企画構成、ナレーションなどを行いながら、日本音楽財団や日本音楽作家協会理事などを務め幅広く活動した。「コンサートプランナー」という肩書きは、頼近が使ってから知られるようになったもの。

2004年(平成16年)、大田区田園調布の豪邸を売却して世田谷区野毛のマンションに移る。

2007年(平成19年)に食道がんと診断され、翌年9月、通院のため千葉県流山市のマンションに転居した。

癌治療を受け続けたものの、2009年(平成21年)5月17日午後1時46分、千葉県柏市の病院にて53歳で死去。直接の死因は心不全であった。

特記事項

女子アナのタレント化が一気に進むのは頼近の登場からといわれ、頼近が高額年俸でフジテレビに移籍したことを契機に、報道からバラエティまで、あらゆる番組で女子アナブームが巻き起こり「女子アナの時代」が到来することになった。「週刊ポスト」は頼近を「女子アナブームのパイオニア」と論じている。

スポーツも好きで、大学在学中にはスキー部に所属した。

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