アクセサリー会社前社長 竹久みち さん死去
2009年(平成21年)7月24日 死去 享年79歳

アクセサリー会社前社長 竹久みち さん死去
1982年(昭和57年)に起きた三越事件で商法の特別背任などの罪に問われ、実刑判決が確定したアクセサリー会社前社長の 竹久 みち(たけひさ みち)さんが2009年(平成21年)7月24日、心不全のため東京都内の病院で死去した。79歳だった。
三越事件では、「三越の女帝」として渦中の人となり、三越の岡田茂元社長(上告中に死亡)と共謀し、三越に損害を与えたとして実刑判決が確定した。昨年12月に動脈瘤(りゅう)を患い、今年になって手術を受けていた。

人物 / 略歴
竹久 みち(たけひさ みち、1930年 ~ 2009年7月24日)
本名は小島美知子(こじま みちこ)。服飾デザイナー。
◆ 略 歴
旧制共立女子専門学校生活科(現:共立女子大学)を卒業した後、1957年文化学院デザイン科を卒業。
文化学院在学中から、銀座で「ヌーベル・アクセサリー研究所」を主宰。
上野松坂屋、銀座松坂屋などと取引。TV各局に出演し、アクセサリーについて語る。
アクセサリー研究所は、改称、転居を経て、1960年からは、六本木で「竹久みちアクセサリーデザインスクール」として、国内初のアクセサリーデザイナーの養成を始める。これは、のちに「竹久みちアクセサリー学院」と改称するも、1983年に閉鎖。
1982年、「三越事件」が起き、彼女が「三越の女帝」として当時の三越の岡田茂社長から不当に利益供与を受けていたことが判明し、特別背任罪で岡田社長とともに逮捕されたことでそのすべてを失う。
その後は、クィーンズオーキッド株式会社を設立し、アートフラワーの販売を続けた。
特別背任罪と所得税法違反で起訴され、最高裁判所まで争うが、1997年10月に最高裁で上告が棄却され、懲役2年6月、罰金6000万円の実刑判決が確定、収監される。
2009年7月24日、心不全のため東京都内の病院で死去した。享年79歳。
特記事項
ペンネームの「竹久」は竹久夢二にあやかって命名したものである。
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