追悼の森 =古橋広之進さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【は~ひ~ふ~へ~ほ】 著名人訃報一覧【は~ひ~ふ~へ~ほ】  著名人訃報一覧 2009年 著名人訃報一覧 Ver.30
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

日本水泳連盟会長  古橋広之進 さん死去

2009年(平成21年)8月2日 死去 享年80歳

古橋広之進写真  

日本水泳連盟会長  古橋広之進 さん死去

日本オリンピック委員会(JOC)や日本水泳連盟の会長を務め、日本の水泳界を長年にわたりリードしてきた 古橋 広之進(ふるはし ひろのしん)さんが2009年(平成21年)8月2日(現地時間2日午前8時頃)、急性心不全のため滞在先のイタリア・ローマで死去した。80歳だった。

1949年(昭和24年)8月、ロサンゼルスで行われた全米選手権に招待されて参加し、1500m自由形18分19秒0で世界新記録を樹立しアメリカの新聞では「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた。2008年(平成20年)11月にはスポーツ選手として初めて文化勲章を受章した。朝食に起きてこないことを不審に思った関係者がホテルの部屋に入り、死亡を確認したという。

人物 / 略歴

古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん、1928年9月16日 ~ 2009年8月2日)

1静岡県浜名郡雄踏町(現:浜松市西区)に生まれる。 元水泳選手、スポーツ指導者。

現役引退後は大同毛織に入社。その後、母校の日本大学の教授や日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。

◆ 略 歴

日本大学法文学部(現在は法学部)政治経済学科卒業。

◆ 大学進学まで

雄踏小学校4年の時に水泳部に入部。

当時、古橋が通っていた学校の水泳部では、浜名湖での遠泳が伝統的に行われており、古橋は6年生の時100mと200mの自由形で学童新記録を樹立した。 その際、新聞報道で「豆魚雷」との異名を付けられた。

その後、浜松第二中学校(現・静岡県立浜松西高等学校)へ進学したものの太平洋戦争の激化により水泳を続けることができなかった。

◆ 「フジヤマのトビウオ」

日本大学進学後に水泳を再開。

1947年の日本選手権では400m自由形を4分38秒4で優勝し、公式記録にはならなかったものの当時の世界記録を上回るタイムを出した。

敗戦国の日本は1948年のロンドンオリンピックへの参加が認められなかった。

1949年6月に日本の国際水泳連盟復帰が認められ古橋や橋爪四郎ら6選手は8月にロサンゼルスで行われた全米選手権に招待されて参加し、400m自由形4分33秒3、800m自由形9分33秒5、1500m自由形18分19秒0で世界新記録を樹立しアメリカの新聞では「フジヤマのトビウオ」(The Flying Fish of Fujiyama)と呼ばれた。

渡航前にはGHQのダグラス・マッカーサー元帥や昭和天皇からも励ましを受けた。

戦後まもなかったこともあり大会前は米国民にジャップと呼ばれることもあったが大会後は一躍ヒーローとなりハリウッドではボブ・ホープらにサインをねだられた。

1951年に日本大学を卒業後、大同毛織に入社。

同年、第1回日本スポーツ賞受賞。

1952年、日本選手権では思うような記録が出なかったがその年のヘルシンキオリンピックに出場。

しかし既に選手としてのピークを過ぎていたことと1950年の南米遠征中にアメーバ赤痢に罹患し発症していたことが響き、五輪本番では400m自由形8位に終わった。

この時、実況を担当したNHKの飯田次男アナウンサーが涙声で「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。古橋に有難うを言ってあげて下さい」と述べたことがあった。帰国中の船内では自殺まで考えていたという。

◆ 現役引退とその後

引退後は社業に専念する傍ら、水泳界の発展に尽力した。

1966年には大同毛織を退社し、日本大学専任講師となると共に日本水泳連盟役員となった。

1985年には前年のロサンゼルスオリンピックでの選手大麻吸引事件による役員刷新で日本水泳連盟会長に就任し、神戸市で行われたユニバーシアード大会事務総長となった。

1990年から1999年までは日本オリンピック委員会(JOC)会長となり、1996年のアトランタオリンピック日本選手団団長を務めた。

また、亡くなるまで日本オリンピアンズ協会の名誉顧問も務めていた。

2008年11月3日にオリンピック出場経験者としては初、日本スポーツ界の人物として2人目となる文化勲章を親授された。

2009年2月7日に故郷の浜松市に古橋廣之進記念浜松市総合水泳場(愛称:ToBiO)がオープンした。

1976年より国際水泳連盟の副会長を務め2009年7月24日にローマで開催された総会でも再選されたが、その9日後の8月2日午前中に現地のホテルの部屋で亡くなっているのが発見された。80歳没。戒名は大照院泳心廣道居士。

死因は急性心不全であり、突然死だったことを記者会見で日本水泳連盟が明らかにした。

特記事項

第二次世界大戦終了後の水泳界で次々と世界記録を打ち立てて「フジヤマのトビウオ」の異名を取った。

◆ 古橋 広之進 / 受賞歴

◇ 1950年 中日文化賞
◇ 1951年 日本スポーツ賞 (第1回)
◇ 1967年 水泳殿堂入り
◇ 1983年 紫綬褒章
◇ 1993年 文化功労者
◇ 2003年 旭日重光章
◇ 2005年 名誉都民(石原慎太郎知事による)
◇ 2008年 文化勲章(スポーツ選手では史上初)

◆ A Related Words :
古橋広之進 腹上死/古橋広之進 黒い噂/古橋広之進 プール/古橋広之進 トビウオ/古橋広之進 市民葬/古橋広之進 Wiki/古橋広之進 お別れ会/古橋広之進記念/古橋広之進 オリンピック/古橋広之進 水泳場/古橋広之進 水泳/古橋広之進 プロフィール/古橋広之進 略歴

Page Top

スマートフォン / PC サイト