追悼の森 =三遊亭円楽(5代目)さん死去=

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落語家  三遊亭円楽 さん死去

2009年(平成21年)10月29日 死去 享年76歳

三遊亭円楽写真  

落語家  5代目 三遊亭円楽 さん死去

流麗な話芸が持ち味で、20年以上にわたり人気テレビ番組「笑点」の司会者として親しまれた落語家の 三遊亭 円楽(さんゆうてい えんらく)さんが2009年(平成21年)10月29日午前8時15分、肺がんのため東京都中野区の長男宅で死去した。76歳だった。

若い頃は「星の王子さま」の愛称で親しまれ、7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝と共に「四天王」と呼ばれ脚光を浴びた。2005年(平成17年)に脳梗塞で倒れ、2007年(平成19年)2月に「芝浜」の口演を最後に引退を表明し第一線から遠ざかっていた。葬儀は故人の意思により、近親者と円楽一門で密葬で行われる。喪主は妻の和子さん。

人物 / 略歴

5代目三遊亭 圓楽(さんゆうてい えんらく、1932年12月29日(戸籍上は1933年1月3日) ~ 2009年10月29日)

東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)出身。 本名は吉河 寛海(よしかわ ひろうみ)。落語家。

円楽一門会総帥、最高顧問。 出囃子は『元禄花見踊り』。

実家は浄土宗の寺院(日照山不退寺易行院。通称:助六寺)。現役時の芸能事務所の所属は星企画→若竹カンパニー。なお、若竹カンパニーは、自身の長男が代表取締役を務める個人事務所である。

かつて演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバー・司会者を務めていたことで知られる。身長177cmと長身であった。

◆ 略 歴

終戦後、「これからは食糧難だから農業だ」という父親の薦めで農民になることを決意。埼玉県立杉戸農業高等学校に入学、卒業する。

上野鈴本演芸場で落語を見た時に「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意する。

1988年(昭和63年)には、実家の寺院へ自身の墓を生前建立していた(いわゆる「寿陵」)。墓石には「円楽之墓」と刻まれている。

また、自らの墓の隣には航空機事故で早世した実妹の供養観音を建立している。

落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩み、ストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。

師匠圓生に諭されて本格的に落語を精進するまでは、バラエティータレントの一人として数多くのテレビ番組に出演していた。

師匠の厳命により1977年(昭和52年)に「タレント廃業宣言」をするまで、落語に全力を注ぐことはなかった。

タレント廃業宣言は徹底したもので、『笑点』含む全レギュラー出演から降板した。1983年に司会者として『笑点』に復帰した後もテレビのレギュラー番組は原則として『笑点』とNHK総合『お好み演芸会』以外に持たなかった。

1972年(昭和47年)6月14日に発生した日本航空ニューデリー墜落事故で、客室乗務員だった実妹(当時23歳)を亡くしている。その事故の直前、圓楽が実家の本堂で睡眠していると、誰も叩いてないはずの木魚の音に目を覚まさせられ、その直後に実妹の訃報が届いたという。

◆ 「笑点」4代目司会者として

1982年(昭和57年)12月8日に当時の司会であった三波伸介の急死に伴い1983年(昭和58年)1月9日から司会者として番組に復帰した。

司会就任後しばらくは視聴率面で苦戦を続けたものの、こうした番組作りの変化が功を奏し、次第にかつてのような人気番組の地位を取り戻していった。

その後2005年(平成17年)10月13日に脳梗塞の症状が現われ入院し、10月16日分の放送を最後に番組を休養することとなった。2006年(平成18年)5月14日放送分(4月22日収録)の放送開始40周年特番を最後に勇退し、歌丸に司会の座を正式に譲った。

2007年(平成19年)1月1日に放送の『大笑点』では、降板後では初めてゲスト出演。翌2008年(平成20年)3月9日には高座・テレビ引退後久々に弟子の真打昇進披露口上のため『笑点』出演となったが、体調を考慮して三本締めの音頭は惣領弟子三遊亭鳳楽が行った。

◆ 現役引退、そして逝去

2007年(平成19年)2月25日に落語会「国立名人会」で高座に復帰することとなり、自分の進退をかけ本番の半年前から稽古をして臨んだ。

しかし、その出来に納得がいかずに引退を決意。口演後の記者会見で現役引退を表明した。この日演じた『芝浜』が最後の高座となった。

また2007年(平成19年)4月1日放送「いつみても波瀾万丈」の出演をもって、テレビ出演の引退も表明した。

2007年(平成19年)11月に胃がんの手術を受け、その翌年(2008年)3月には肺がんの手術を受けた。

2008年(平成20年)8月、愛弟子の楽太郎に圓楽の名跡の6代目を襲名させることが明らかとなった(林家木久扇による、子息の2代目木久蔵襲名以来となる生前贈与となる予定であった)。

2009年(平成21年)5月、肺がんが再発。同時期に脳梗塞も再発し、半身不随となった。

9月に入院し、本人の意向により10月23日に退院。自宅(および近所に住む長男宅での)療養に入った。

10月29日、肺がんのために長男宅で逝去。76歳没。訃報は翌日の10月30日に公表された。

戒名は、「光岳院情誉圓楽寛海居士」(こうがくいんじょうよえんらくかんかいこじ)。

特記事項

幼い頃は病弱で腎炎、結核との闘病を経験する。腎臓の病はその後も水面下で進行し66歳の時に腎不全を発症。以後は週3回の人工透析を受けるようになる。

没後、これまで出演していた日本香堂、毎日香のCFナレーションは、2010年(平成22年)2月28日より、同日の笑点を以て名跡を襲名した直弟子の六代目圓楽が継承している。

◆ 三遊亭円楽 / 出演CM

◇ 日本香堂
◇ パンアメリカン航空
◇ パナソニック(テレビ「輝」)

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