追悼の森 =コロンビア・ライトさん死去=

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元人気漫才師  コロンビア ライト さん死去

2010年(平成22年)10月26日 死去 享年83歳

コロンビア・ライト写真  

元人気漫才師   コロンビア ライト さん死去

元人気漫才コンビ「コロムビア・トップ・ライト」で活躍した コロムビア・ライトさんが2010年(平成22年)10月26日午前8時ごろ、東京都大田区の自宅で死去した。83歳だった。自宅のソファに座った状態で亡くなっていた。

1974年(昭和49年)のコロムビア・トップさんの参院選当選によるコンビ解消後は漫談や司会などで活躍した。ヘビースモーカーがたたり喉頭癌を患い、1991年(平成3年)に声帯を摘出し、一時は声を失うが 食道を振動させる発声法を会得。その後は医療漫才や、癌、煙草、禁煙に関する講演活動を精力的に行なっていた。

人物 / 略歴

コロムビア・ライト(1927年3月30日 ~ 2010年10月26日)

東京都港区出身。本名は鳥屋 二郎(とりや じろう)。漫才師、漫談家。

落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。

声帯模写漫談家柳家三亀松の弟子柳家亀次としてデビューし、後にコロムビア・トップライトの2代目ライトとして活躍。

◆ 漫才コンビ「コロムビア・トップ・ライト」

◇ コロムビア・トップ(本名:下村泰)
◇ 青空ライト(初代ライト。本名:池田喜作)
◇ コロムビア・ライト(2代目ライト。本名:鳥屋二郎)

トップは戦時中兵隊仲間であった池田喜作と仲間の慰問も兼ねて漫才コンビを結成。戦後そのまま芸能界に入り、「青空トップ・ライト」と名乗る。

1950年の池田の急逝後、声帯模写の漫談家である鳥屋二郎を二代目ライトに迎え再結成。

1952年、コロムビアレコードと専属契約を結んだのを機にコンビ名を「コロムビア・トップ・ライト」と改める。

コロムビア専属歌手の専属司会者として、地方巡業等の舞台で「司会漫才」「立体(ステレオ)司会」のジャンルを確立。

またニッポン放送の早朝番組『起き抜け漫才』で時事漫才のジャンルを確立し、以降社会風刺を効かしたネタで注目を得て、全盛期には「トップ・ライトがいなければ夜も昼も明けなかった」と言われる程、関東を中心に絶大な人気を呼んだ。

1968年からは1974年まで「なつかしの歌声」の司会を務めた。この番組により、懐メロブームが起こったとも言われ、二人はその火付け役として名高い。

1974年トップは参院選に出馬し当選したのを機にコンビは解散。

当初、当選後もコンビは続行する予定だったが、ライトが「これからは"コロムビア・ライト、トップ"と(表記)しなきゃ共に行動しない」と反発。その発言にトップが激怒し、解散の流れとなった。

その後はそれぞれ漫談家として活躍。コンビ仲の悪さ(漫才界でもトップクラスとして知られ、多くの逸話が遺されている)から再結成は絶望的と言われていたが、1982年に単発で再結成したのを機に、ライトが1991年に喉頭癌によって声帯摘出手術を行うまで、再びトップ・ライトとしての漫才を時折行うようになった。

ただしそれは関係者の尽力によってなされたものであり、二人の仲が改善した訳ではなく、その犬猿の仲ぶりは客席からも伺える凄まじいものであった。

そのようなコンビであるため、私生活での交流は勿論無く、ライトの声帯摘出、トップの数度の癌手術・逝去が報道されても、お互いマスメディアへのコメントや献花等の行動は一切無かった。

特記事項

漫才コンビは、2008年10月29日、東京漫才を顕彰する「東京漫才の殿堂」への殿堂入りが漫才協会によって発表された。

◆ トップ・ライト / レコード

◇ トップライトののんき節/母ちゃん勘弁ね(1960年12月コロムビアレコード)-作詞丘灯至夫・作曲石田一松・編曲船村徹

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