追悼の森 =竹脇無我さん死去=

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俳優  竹脇 無我 さん死去

2011年(平成23年)8月21日 死去 享年67歳

竹脇無我写真 

俳優  竹脇無我 さん死去

クールな二枚目俳優として活躍した 竹脇 無我(たけわき むが)さんが2011年(平成23年)8月21日 午後2時5分、小脳出血のため東京都内の病院で死去した。67歳だった。

40代後半からはうつ病に苦しみ、糖尿病なども併発。晩年は仕事量をセーブしながらの活動だった。同月21日未明、東京都内の自宅で倒れ、意識不明のまま救急搬送されていた。葬儀は22日、近親者のみで行った。喪主は長女の竹脇友加(ゆか)さん。

人物 / 略歴

竹脇 無我(たけわき むが、1944年2月17日 - 2011年8月21日)

千葉県我孫子市出身。本名同じ。俳優。

イザワオフィスを経てアクターズ・セブンに所属していた。

◆ 略 歴

元NHKアナウンサー・ニュース映画解説者の竹脇昌作の三男として生まれる。

最初は「宇宙」という名前を父からつけられる予定であったが母の反対で「無我」という名前になった。

青山学院中等部・青山学院高等部を経て青山学院大学法学部卒業。

父・昌作の自殺、元ラジオ関東アナウンサーの長兄・竹脇義果の半失明状態、更には次兄が脳腫瘍で18歳で早逝するなどした為に苦しくなっていた一家の経済状況を立て直すべく映画界入りした。

1960年に松竹映画『しかも彼等は行く』で俳優としてデビュー。1965年、『アンコ椿は恋の花』で初主演を果たした。

映画『人生劇場』、テレビドラマ『姿三四郎』で一躍スターとなり、クールな二枚目のイメージを確立させた。

テレビドラマ『だいこんの花』、『大岡越前』、『おやじのヒゲ』などに出演。『岸辺のアルバム』では八千草薫の不倫相手を演じた。 美声であったことから女性ファンが多く、「知的で優しい」「理想の夫ナンバーワン」と呼ばれていた。

俳優として円熟味が増してきた矢先、友人の松山が食道癌で1991年に死去したショックと二枚目を演じるストレスなどにより49歳ごろからうつ病を患う。

自殺の衝動を酒で抑え、テレビドラマや舞台に立ち続けるが、セリフが全く頭に入らなくなり、声をテープに吹き替えなければならないほどに悪化した。その後糖尿病を併発、入院を余儀なくされる。

8年間の闘病生活の末に復帰し、闘病体験を語れるまでになったが、その後も飲酒と喫煙を続け、高血圧症の症状があった。

2011年8月21日、同日未明に自宅内で意識不明の状態で発見され、東京都大田区の東邦大学医療センター大森病院に搬送、集中治療室で入院中と報道された。脳幹出血の症状があり、集中治療室にて治療が続けられていたが、同日14時5分、小脳出血により東邦大学医療センター大森病院にて死去した。67歳没。

無我は2012年1月2日から22日までの明治座公演『女たちの忠臣蔵』に出演が決定していたが、その出演は果たせぬものとなった。

特記事項

私生活では1970年に結婚、2人の娘に恵まれたが、十数年に渡る長き別居生活の後、1997年に離婚。

近年は内妻と同居しており、無我は前妻・娘2人・内妻に見守られながら息を引き取った。

◆ 竹脇無我 / 森繁久彌との関係

竹脇無我の父・竹脇昌作と森繁はNHKアナウンサー1期の同期生であり、親友同士でもあった。

『だいこんの花』で初めて共演して以来、多くの森繁作品に出演している。また、竹脇は森繁と自殺した自分の父の姿とがだぶることから、彼を「オヤジ」と呼び慕っていた。

森繁の葬儀の際には「生きてますからね、心の中では別れられないですよ・・・もう一度、会いてえ・・・」と慟哭した。

◆ 竹脇無我 / 著 書

◇ 上島国利監修『凄絶な生還 - うつ病になってよかった』(マキノ出版、2003年)ISBN 4837670156

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