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読売新聞グループ本社社主  正力 亨 さん死去

2011年(平成23年)8月15日 死去 享年92歳

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読売新聞グループ本社社主  正力 亨 さん死去

読売新聞グループ本社社主で プロ野球巨人軍名誉オーナーの 正力亨(しょうりき とおる)さんが2011年(平成23年)8月15日午前5時5分、敗血症のため東京都港区の病院で死去した。92歳だった。

元読売新聞社社主の故正力松太郎氏の長男。1960年(昭和35年)に読売新聞社取締役に就任。巨人オーナー、報知新聞社社長などを歴任し、日本テレビ放送網の名誉顧問も務めた。葬儀、告別式は近親者のみで行い、後日、お別れの会が開かれる予定。

人物 / 略歴

正力 亨(しょうりき とおる、1918年10月24日 ~ 2011年8月15日)

東京都出身。実業家。

読売新聞グループ本社社主。読売巨人軍名誉オーナー。故正力松太郎の長男。

◆ 略 歴

慶應義塾普通部を経て、1942年に慶應義塾大学経済学部卒業。

慶應義塾普通部では野球部で投手兼4番を務めた。慶應義塾体育会野球部では、1年間選手を経験した後、マネージャーに転向した。

長嶋茂雄を最も愛した読売関係者の一人でもある。

王貞治の監督としての能力を非常に評価しており、1988年に王監督が退任した時には報知新聞などの記者に「君、王君に言ってくれないか、僕は王君にもう一度監督をさせたかった」と語ったとも言われている。

慶大野球部の後輩である藤田元司にも目をかけていた。経営評論家の針木康雄によると、正力がオーナーとして一番喜んだのは、1988年に藤田が2度目の巨人監督に就任したことだったといわれる。1度目の監督就任期間が好成績ながらわずか3年に終わったのを、悪いことをしたと気にかけていたからである。

父・正力松太郎の死後、日本テレビにいた異母弟の正力武を追放した。武は、自身の人生を呪う様に酒を浴びるほど飲み続け、51歳で死んだ。

1970年代から1980年代にかけて毎年正月に日本テレビで放送されていた巨人軍選手出演のバラエティ番組にて、場面冒頭ファンに対して年始の挨拶を行うのが恒例行事だった。

実父の正力松太郎の別称:大正力(だいしょうりき)に対比して、小正力と呼ばれる。

1996年(平成8年)12月に、長年務めた巨人軍オーナーを渡邉恒雄に譲る形で職を退き、名誉オーナーへと就任。

2006年(平成18年)2月10日、前日74歳で死去した藤田元司(慶大野球部の後輩でもある)の自宅へ弔問に訪れた。2月15日に巨人と藤田家の合同葬として営まれた葬儀・告別式にも参列。

読売新聞グループ本社社主のほか、よみうりランド・日本テレビの取締役、報知新聞社社長も務めた。

2011年8月15日午前5時5分、敗血症のため東京都港区の病院で死去した。享年92歳。

特記事項

1987年、王が巨人監督としてリーグ優勝を果たした際にホテルの一室でベッドの上で飛び跳ねて優勝を喜ぶという行動が目撃されるなど、その言動から「変人」扱いされることもあったが『巨人という幻想』(東邦出版、ISBN 4809405052)の著者である宮崎満教(元内外タイムス記者)は「正力は純粋に巨人のことが大好きだった」と評している

◆ 正力 亨 / 晩年の役職

◇ 読売新聞グループ本社社主
◇ 日本テレビ放送網名誉顧問
◇ 読売巨人軍名誉オーナー

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