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元プロ野球選手  伊良部 秀輝 さん死去

2011年(平成23年)7月27日 死去 享年42歳

伊良部秀輝写真  

元プロ野球選手  伊良部 秀輝 さん死去

元プロ野球投手として活躍した 伊良部 秀輝(いらぶ ひでき)さんが2011年(平成23年)7月27日、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去していたことが分かった。42歳だった。

プロ野球のロッテや、阪神、米大リーグのヤンキースで投手として活躍し、日米通算106勝を挙げた。連絡が取れないことを心配した友人らの通報を受け、ロサンゼルス郡保安官事務所が7月27日に自宅を訪れ遺体を発見した。同保安官事務所は自殺とみている。

人物 / 略歴

伊良部 秀輝(いらぶ ひでき、1969年5月5日 ~ 2011年7月下旬)

沖縄県宮古島市生まれの兵庫県尼崎市育ち。プロ野球選手(投手)。

◆ 略 歴

アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる(ただし、両親は伊良部が物心つく前に離婚しており、本人は後年渡米するまで、自分の父親がアメリカ人であることも知らなかったという)。

常光寺小学校、若草中学校を卒業後、香川県に引っ越し、尽誠学園高等学校に進学。

1986年と1987年の全国高等学校野球選手権大会に出場。その後、1987年のドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名され入団。

◆ ロッテ時代

1年目から1軍のマウンドを経験。村田兆治、前田幸長らとともにチームの弱小投手陣を支えた。入団2年目に西武の清原和博との対戦時に156km/hをマークするなど当時から球速はめっぽう速かったが、コントロールが悪くカウントを悪くしては棒ダマを打たれるなど入団後数年は試練の時が続いた。起用法も先発・リリーフなど一定ではなかった。

1994年、最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。ボビー・バレンタイン監督時代の1995年にも小宮山悟、エリック・ヒルマンとともに先発投手陣三本柱として、チームの2位躍進に貢献。最優秀防御率と2年連続の最多奪三振のタイトルを獲得した。また4試合連続2ケタ奪三振も2年連続で記録している。

1996年、2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得。一方で、降板指令に怒ってグローブと帽子をスタンドに投げ入れるなど、トラブルも多かった。

1996年オフ、メジャーリーグへの移籍希望を表明。ニューヨーク・ヤンキースの入団に拘り、代理人の団野村を雇って対応。大型トレードを仕掛け、最終的に三角トレードという形でヤンキース入団を果たし、4年1280万ドルで契約した。

この時、取材陣に対し「アンタら凡人にミケランジェロの気持ちが解るか?オレはミケランジェロなんだよ」という暴言を吐き顰蹙を買う(伊良部メジャーリーグ移籍騒動)。

◆ メジャーリーグ時代

1997年5月にヤンキースへ入団。

メジャー初登板初先発となった7月10日のデトロイト・タイガース戦では最速98mph(約158km/h)の速球とフォークを駆使し6回2/3を5安打2失点9奪三振の投球でメジャー初勝利。オーナーのジョージ・スタインブレナーからは「和製ノーラン・ライアン」と称された。

1998年、チームはワールドシリーズを制覇。アジア人選手として初めてチャンピオンリングを獲得した。

1999年、チームは2年連続となるワールドシリーズ制覇を果たし、2つ目のチャンピオンリングを手にした。

1999年12月12日にテッド・リリー、クリスチャン・パーカー、ジェイク・ウエストブルックとのトレードでモントリオール・エクスポズへ移籍。ヤンキースと結んだ残りの契約に加え、1年250万ドル+出来高での翌々年の契約も延長した。

◆ メジャーリーグ時代 / テキサス・レンジャーズ

2001年8月26日に遠征先でチームメイトと食事をした際に酒を飲みすぎ、意識不明となって病院に搬送され、謹慎処分を命じられ、9月6日に解雇される。

12月27日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。

2002年はクローザーとして5月中旬まで1勝10セーブ、防御率0.64、WHIP0.92と好投を続け、地元紙からは「球団史上に残るクローザー」とも呼ばれた。

しかし、7月15日に肺血栓が見つかりシーズンを終える。12月7日に阪神タイガースと1年2億円で契約した。

◆ 阪神時代

2003年、13勝を挙げ、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。オールスターゲームにも出場。

2004年は登板数は3試合のみ、防御率は13.11という不調もあって、オフに戦力外通告を受けた。

2005年3月上旬に、現役を引退。

特記事項

1993年5月3日、西武・清原との対戦時に158km/hをマーク。以後、清原和博との対決は「平成の名勝負」とうたわれ、安定感も増し、起用法もローテーション投手として固定されるようになった。

◆ 日米で2度の逮捕

2008年8月、大阪市北区のバーで、アメリカン・エキスプレス・センチュリオン・カードいわゆるブラックカードが使用できないことに腹を立て、店舗の破壊および店長を暴行した容疑で現行犯逮捕された。10月16日に書類送検されたが、不起訴処分となった。

2010年5月17日、飲酒運転の疑いで米ロサンゼルス郊外で逮捕されていたことが判明した。

◆ 晩年

現役を引退後、高校時代の友人と共同で、カリフォルニア州ロサンゼルスでうどんのフランチャイズチェーン「SUPER UDON」を開業。当初は人気店だったが、その後閉店した。

2011年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で、首を吊った状態で死亡しているのが発見された。地元の警察の捜査では自殺とされている。

死の1ヵ月ほど前から妻子と別居状態が続いていたことなど精神的に追い詰められていた事情が指摘されている。

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