追悼の森 =岡田茂さん死去=

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東映名誉会長  岡田 茂 さん死去

2011年(平成23年)5月9日 死去 享年87歳

岡田茂写真  大久保琴訃報

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東映名誉会長  岡田 茂 さん死去

東映名誉会長の 岡田 茂(おかだ しげる)さんが2011年(平成23年)5月9日午前5時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。

「網走番外地」「仁義なき戦い」などの任侠映画や、数々の時代劇で戦後の映画界をリードした映画プロデューサーで東映名誉会長を務めた。葬儀は東京都港区南青山の青山葬儀所で。喪主は妻、彰子(あやこ)さん。葬儀委員長は長男で東映社長の岡田裕介さん。

人物 / 略歴

岡田 茂(おかだ しげる、1924年3月2日 ~ 2011年5月9日)

広島県賀茂郡西条町(現東広島市西条)出身。映画プロデューサー。

元東映・東急レクリエーション社長、東映会長、同名誉会長、同相談役を経て2006年7月から再び東映名誉会長。また、2008年4月より東京急行電鉄取締役を務めた。

松竹の城戸四郎、東宝の森岩雄が一線を退いてからは「日本映画界のドン」であり、戦後の日本の娯楽産業を創った一人である。

長男は、映画『赤頭巾ちゃん気をつけて』や『実録三億円事件 時効成立』などで知られる元俳優で現東映社長の岡田裕介。長女は、生命倫理学者でコメンテーターの高木美也子。

◆ 略 歴

中学の頃から身長が180センチ近くあり、遊びと喧嘩に明け暮れた番長だった。一族は酒問屋など事業を手広く行い映画館も持っていた。旧制広島一中(現・広島国泰寺高校)では柔道に熱中。卒業後は旧制広島高校(現・広島大学)に進学。

1944年東京帝国大学経済学部に入学するも待ち構えていたのは学徒出陣。特別幹部候補生として岩沼陸軍航空隊(現在の仙台空港内)で戦闘機の整備の任務に就いた。

終戦後復学。東大経済学部の学友会である経友会を、日本共産党が牛耳ろうとするのを猛者を率いて大学の左傾化を阻止した。
ただし岡田本人は政治的には無思想で、大学を日本共産党に支配されることを理不尽だから立ち上がったとしている。

◆ 東映入社 / 草創期

卒業後、多くの同期生とは異なる道、「活動屋」の世界に飛び込む決意を固める。

1947年、雑用係からキャリアをスタートさせたが、まわりは岡田を大学出の文学青年ぐらいにしか思っていなかったようで、よく言いがかりを付けられたが、売られた喧嘩は絶対に買った。生意気だけど喧嘩が強そうと次第に認められたという。当時、製作のトップにいたマキノ光雄に師事。翌1948年、24歳で製作主任に昇格。

以前から温めていた企画、戦死した学友達の話を後世に残さなければならない、と戦没学生の遺稿集『はるかなる山河』の映画化を決意。

1950年、映画は完成。タイトルを『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に変更し公開。珠玉の反戦映画、と評価を得て大ヒット、瀬死の状態にあった東横映画を救ったが、当時まだ配給網を持っていなかった東横映画には、あまりお金が入ってこなかった。

1948年、京都撮影所(以下、京撮)に従業員組合(労組)が創立され書記長。翌1949年、新執行部の選出で二代目労組委員長に就任。

◆ 課長昇進 - 撮影所長へ

1949年、入社4年目、27歳で京撮製作課長に抜擢される。また従業員組合委員長にも推されて就任。

当時、山口組の田岡一雄組長がマネージメントをし、松竹映画に出演していた美空ひばりをマキノとともに引き抜き、ひばりと錦之助のコンビで大いに売り出した。

1960年京撮所長。1962年取締役東京撮影所長に就任。

1964年、大川の命で時代劇の衰退した京撮所長に再び戻る。テレビの世界にいち早く目を付け、時代劇はテレビのみで制作する事にし、この年東映京都テレビプロダクションを設立して社長を兼任。『銭形平次』と『水戸黄門』で、テレビ映画の制作は活況を呈した。

◆ 多角経営への道

菅原文太の『仁義なき戦い』を初めとする「実録路線」や、大号令をかけて「エログロ映画」の批判を押しのけ他社に先駆け量産した。

「実録路線」はスタンダード化し、その後のVシネマなどでも、実録でなければ売れないという公式が確立された。

1975年には撮影所の有効利用策として、我が国テーマパークのはしりとも言うべき東映太秦映画村をオープンした。

1971年から1995年まで日本映画製作者連盟会長。この他、映画産業団体連合会会長、日本映画テレビ製作者協会理事長、日本映画海外普及協会理事長、テレビ朝日会長、(株)東急レクリエーション代表取締役会長など多くの要職に就く。

日本映画製作者連盟会長、映画産業団体連合会会長は通算30年務め、日本映画復興に尽力した。

◆ 晩年 / 名誉会長へ

2006年7月、三代目社長だった高岩淡が取締役相談役に退き、82歳で名誉会長として再登板、岡田家のワンツー体制となった。

2011年5月9日午前5時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年87歳。

特記事項

◆ 岡田 茂 / 著 書

◇ 岡田茂 『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』 財界研究所、2001年。ISBN 4-87932-016-1。
◇ 岡田茂 『波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝』 角川書店、2004年。ISBN 4-04-883871-7。

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