追悼の森 =市川森一さん死去=

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脚本家  市川森一 さん死去

2011年(平成23年)12月10日 死去 享年70歳

市川森一写真  

脚本家  市川森一 さん死去

大河ドラマ「黄金の日日」や「ウルトラマン」シリーズなど人気ドラマを手がけた脚本家の 市川 森一(いちかわ しんいち)さんが2011年(平成23年)12月10日4時43分、肺がんのため入院先の病院で死去した。70歳だった。

今年11月11日、自身の長編小説原作で、脚本を手がけた「蝶々さん」の試写会に登場した際に死期を悟っていたのか、最初のあいさつで、いきなり「遺作」という言葉を持ち出した。葬儀、告別式の日程などは未定。

人物 / 略歴

市川 森一(いちかわ しんいち、1941年4月17日 ~ 2011年12月10日)

長崎県諫早市出身。脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。

学校法人鎮西学院理事、評議員、長崎歴史文化博物館名誉館長、日本放送作家協会理事長。

◆ 略 歴

鎮西学院中学部、長崎県立諫早高等学校を経て日本大学藝術学部卒業。

妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。父は旧海軍大村航空隊の教官。

プロテスタントのクリスチャンであり、ウルトラシリーズの脚本では、新約聖書や神話に由来する名前を持つ怪獣や設定を多用したことでも知られる (ペテロ、バラバ、ゴルゴダの丘、アイスキュロス→アイロス星人、マナ→フルハシ・マナ、プロメテウス→プロテ星人、サロメ→サロメ星人など)。

1979年、舞台『黄金の日日』の戯曲により大谷竹次郎賞受賞。
1981年、『港町純情シネマ』などにより芸術選奨新人賞受賞。
1983年、『淋しいのはお前だけじゃない』により第1回向田邦子賞受賞。
1989年、『異人たちとの夏』により日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。
1989年、『明日 - 1945年8月8日・長崎』『もどり橋』『伝言』により芸術選奨文部大臣賞受賞。
1999年、『幽婚』によりモンテカルロ・テレビ祭最優秀脚本賞受賞。
2003年、紫綬褒章受章。
2011年、旭日小綬章受章。

旭日小綬章受章の際、内閣からの公式発表前に、マスコミ各社が事前に行う記者取材が10月27日に予定されていたが、その日に急な発熱を起こして入院し、その際に受けた検査で肺がんが発見され、闘病生活に入っていたという。

2011年12月10日4時43分、肺がんのため入院先の病院で死去した。享年70歳。

特記事項

◆ 市川 森一 / エピソード

キリスト教の信仰を持つに至ったのは、10歳で亡くした実母の入院先が長崎市内のカソリック系の病院だったことが契機である。

高校生の頃、山奥に隠れるようにしてタバコを吸っていたところ、火の不始末が原因で諫早の山をひとつ山火事にしている。
当時は名乗り出ることができず原因不明で終わったが、コメンテーターとしてテレビ出演する頃になって時効を理由に自ら白状した。

2011年に『蝶々さん= 最後の武士の娘 =』の試写会に出席した際、「この年になると、一作一作が遺作のつもりでやっている。
作品によっては、これが遺作になるのはイヤだなと思ったりする。今日、この作品を拝見して、こういう作品が生涯の遺作になれば幸運だなと思ったりしました」と語ったが、結果的にこれが最後の脚本テレビドラマ作品となった。

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