追悼の森 =尾藤公さん死去=

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箕島高校野球部の元監督  尾藤 公 さん死去

2011年(平成23年)3月6日 死去 享年68歳

尾藤公写真  

箕島高校野球部の元監督  尾藤 公 さん死去

和歌山県立箕島高校野球部の元監督で、1979年の春夏連覇を含む4度の甲子園大会制覇を果たした 尾藤 公(びとう ただし)さんが2011年(平成23年)3月6日午前3時37分、膀胱がんのため入院先の和歌山県立医大病院で死去した。68歳だった。

2010年(平成22年)9月、31年前の箕島対星稜戦の再戦が甲子園球場で行われた際には、2004年頃に患った膀胱癌の再発・転移で歩行がままならない状態であったが、車いすで出席していた。葬儀は9日、和歌山県有田市箕島のフューネラル有浄会館で。喪主は長男の強(つよし)さん。

人物 / 略歴

尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 ~ 2011年3月6日)

和歌山県有田市に生まれる。箕島高校野球部の元監督。

日本の高校野球元指導者で、高校野球の解説者を務めた。元和歌山県立箕島高等学校野球部監督。

◆ 略 歴

自身高校球児として箕島高校では4番で捕手を務めたが、甲子園出場経験は一度も無かった。

近畿大学中退後は銀行員として働いていた。

◆ 箕島高校監督時代

1966年、箕島高校監督に就任。監督3年目の1968年第40回センバツ大会では、東尾修投手を擁して初の甲子園出場を果たす。

1970年、第42回センバツ大会では、島本講平投手を擁して甲子園大会で初優勝。

1979年の第51回センバツ大会と第61回選手権大会では、石井毅と嶋田宗彦のバッテリーらを擁し、甲子園大会で当時史上3校目の春夏連覇を達成した。

特に1979年夏選手権の3回戦、星稜高校との延長18回の大熱戦(箕島の激闘)は、30年以上経った現在でも高校野球史に語り継がれている。

1995年の第77回選手権大会直前の8月4日に監督勇退を表明。

春8回、夏6回の合計14回甲子園に出場を果たし、その内春センバツ3回、夏選手権1回の優勝経験を持つ。甲子園大会通算35勝は史上7位。

◆ 監督勇退後

高校野球のテレビ・ラジオの実況解説者を務め、「そうですねえ」という口癖が特徴的であった。

2010年9月23日、31年前の箕島対星稜戦の再戦が甲子園球場で行われたが、2004年頃に患った膀胱癌の再発・転移で歩行がままならない状態となり、車いすで甲子園に姿を現している。

3月6日午前3時37分、膀胱がんのため入院先の和歌山県立医大病院で死去した。享年68歳。

特記事項

2011年1月23日に和歌山市内のホテルで催された東尾修の野球殿堂入り記念パーティーには出席出来ず、東尾に向けて「故郷の仲間やお世話になった方々を忘れず、今後は恩返しで生きて貰いたい」というメッセージを録音テープで寄せたのが、公の場での最後の肉声となった。

◆ 尾藤 公 / 甲子園での成績

◇ 春 : 出場8回 / 22勝5敗 / 優勝3回 (1970年、1977年、1979年)
◇ 夏 : 出場6回 / 13勝5敗 / 優勝1回 (1979年)
◇ 通算 : 出場14回 / 35勝10敗 (勝利数は2006年夏現在、歴代7位)・優勝4回

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