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医師  原田正純 さん死去

2012年(平成24年)6月11日 死去 享年77歳

原田正純写真  

医師  原田正純 さん死去

医師として水俣病患者の診療や公害問題の解決を訴え、水俣病研究の第一人者だった 原田 正純(はらだ まさずみ)さんが2012年(平成24年)6月11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため入院先の熊本市内の病院から退院後、自宅にて死去した。77歳だった。

1961年(昭和36年)、熊本県水俣市で水俣病の調査を開始。周辺の不知火海一帯を歩いて診察し、被害の広がりの解明にも貢献した。全国の水俣病裁判では、一貫して被害者の立場に寄り添って証言を続けた。

人物 / 略歴

原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 ~ 2012年6月11日)

鹿児島県さつま町出身。医師(学位は医学博士)。

◆ 略 歴

ラ・サール高校、熊本大学医学部卒業。

熊本大学医学部で水俣病を研究、胎児性水俣病も見いだす。

水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。

熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。

1989年、『水俣が映す世界』(日本評論社)で大佛次郎賞を受賞。
2001年、吉川英治文化賞受賞。
2010年、朝日賞受賞。

2012年6月11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため入院先の熊本市内の病院から退院後、自宅にて死去した。享年77歳。

特記事項

◆ 原田 正純 / 著書

◇ 『水俣病』 岩波書店〈岩波新書〉、1972年。
◇ 『水俣病にまなぶ旅 水俣病の前に水俣病はなかった』 日本評論社、1985年1月。
◇ 『水俣病は終っていない』〈岩波新書〉、1985年2月。
◇ 『水俣の赤い海』 フレーベル館〈いま、子どもたちは〉、1986年5月。
◇ 『水俣が映す世界』 日本評論社、1989年6月。
◇ 『水俣・もう一つのカルテ』 新曜社〈水俣=語りつぎ 4〉、1989年10月。
◇ 『水俣の視図 弱者のための環境社会学』 立風書房、1992年10月。
◇ 『炭じん爆発 三池三川鉱の一酸化炭素中毒』 日本評論社、1994年8月。
◇ 『慢性水俣病・何が病像論なのか』 実教出版〈J-JEC環境叢書シリーズ〉、1994年9月。
◇ 『この道は』 熊本日日新聞情報文化センター〈シリーズ・私を語る〉、1995年5月。
◇ 『水俣病と世界の水銀汚染』 実教出版〈J・JECブックレット〉、1995年6月。全国書誌番号:97029055。
◇ 『裁かれるのは誰か』 世織書房、1996年7月。
◇ 『胎児からのメッセージ 水俣・ヒロシマ・ベトナムから』 実教出版〈J・JECブックレット〉、1996b-09。
◇ 『炭坑の灯は消えても 三池鉱炭じん爆発によるCO中毒の33年』 日本評論社、1997年12月。
◇ 『金と水銀 私の水俣学ノート』 講談社、2002年2月。
◇ 『環境と人体 公害論』 世界書院〈ライブラリー・環境問題〉、2002年8月。
◇ 『いのちの旅 「水俣学」への軌跡』 東京新聞出版局、2002年11月。
◇ 『"負の遺産"から学ぶ』 熊本日日新聞社〈水俣学ブックレット〉、2006年5月。
◇ 『豊かさと棄民たち 水俣学事始め』 岩波書店〈双書時代のカルテ〉、2007年4月。
◇ 『水俣への回帰』 日本評論社、2007年11月。
◇ 『宝子たち 胎児性水俣病に学んだ50年』 弦書房、2009年10月。
◇ 『油症は病気のデパート カネミ油症患者の救済を求めて』 アットワークス、2010年6月。

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