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日本将棋連盟会長  米長邦雄 さん死去

2012年(平成24年)12月18日 死去 享年69歳

米長邦雄写真  

将棋棋士 / 日本将棋連盟会長  米長邦雄 さん死去

日本将棋連盟会長で永世棋聖の 米長 邦雄(よねなが くにお)さんが2012年(平成24年)12月18日午前7時18分、前立腺がんのため東京都新宿区の東京女子医科大学病院で死去した。69歳だった。

1963年(昭和38年)にプロ四段、1973年(昭和48年)に初タイトルの棋聖を獲得した。4歳年下の中原誠16世名人と名勝負を繰り広げ「米長・中原時代」を築いた。今年1月にはコンピュータ将棋と 対戦するなどIT活用に積極的で、ネットユーザーの支持も厚かった。

人物 / 略歴

米長 邦雄(よねなが くにお、1943年(昭和18年)6月10日 ~ 2012年(平成24年)12月18日)

山梨県南巨摩郡増穂町(現:富士川町)出身。将棋棋士。

日本将棋連盟会長。参議院議員の米長晴信は甥。

◆ 略 歴

小学校3年の頃、周囲の大人達を負かすようになる。小学校6年の頃、師匠となる佐瀬勇次が米長の生家を訪れて、プロ将棋界へ進むことを勧めた。

3人の兄は東京大学に進んだ。そのうちの一人である泰は、全日本学生名人戦で優勝を果たすなどアマチュア強豪として知られ、秋田工業高等専門学校教授として都市工学を専門とし、将棋の棋風分析の一人者として知られる。

「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」という言葉は有名である。

2009年(平成21年)1月9日に前立腺癌で放射線治療を受けていると発表し、自身のホームページ「米長邦雄の家」の「癌ノート」に詳細を連載した。

◆ 棋風

厚みを重視し、劣勢になると自陣に駒を打ち付け複雑にして逆転を狙う棋風から、「泥沼流」と呼ばれる。

居飛車本格派ながら、定跡研究などによる序盤の構想よりも中終盤の攻防でねじ伏せる勝利が多く、特に将棋の終盤戦術の向上に貢献した。

四冠王になるなど絶頂期にあったときには、自著『逆転のテクニック』の中で序盤研究に否定的な見解を示し、詰将棋で鍛え抜いた読みの力をベースに劣勢になっても相手のミスを招く勝負術ならびに終盤力が将棋における勝負の本質であるとの見解を示していた。

四冠王になる前には、「角頭歩戦法」や「新鬼殺し戦法」といった奇抜とも言える序盤戦術を開拓していた。

「新鬼殺し戦法」は初心者向けのハメ手と戒められていた鬼殺しを立派な一戦術として確立させている。

2012年12月18日午前7時18分、前立腺がんのため東京都新宿区の東京女子医科大学病院で死去した。享年69歳。

特記事項

2011年(平成23年)12月21日に行われたコンピュータ将棋「ボンクラーズ」とのエキシビジョンマッチで敗北したものの、ボンクラーズの初手▲7六歩に対し2手目に△6二玉(本人は「新米長玉」と呼称している)という珍しい手を繰り出した。

◆ 米長 邦雄 / 表彰

◇ 1982年(昭和57年)- 将棋栄誉賞(通算600勝)
◇ 1987年(昭和62年)- 現役勤続25年
◇ 1992年(平成4年) - 将棋栄誉敢闘賞(通算800勝)
◇ 1992年(平成4年) - 山梨県イメージアップ大賞
◇ 1992年(平成4年) - 山梨県南巨摩郡増穂町(現:富士川町)名誉町民
◇ 1995年(平成7年) - 特別将棋栄誉賞(通算1000勝)
◇ 2002年(平成14年) - 現役勤続40年
◇ 2003年(平成15年) - 紫綬褒章
◇ 2007年(平成19年) - 地方教育行政功労者表彰
◇ 2013年(平成25年) - 旭日小綬章

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