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プロ野球巨人軍の元投手  大友工 さん死去

2013年(平成25年)4月12日 死去 享年88歳

大友工写真  

プロ野球巨人軍の元投手  大友工 さん死去

プロ野球巨人軍の「第2期黄金時代」を主力投手として支えた 大友 工(おおとも たくみ)さんが2013年(平成25年)4月12日午前5時28分、急性白血病のため東京都内の病院で死去した。88歳だった。

1949年(昭和24年)に巨人に入団。サイドスローのフォームで 1952年に無安打無得点試合を達成。翌年には27勝6敗で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得、沢村賞にも輝くなど巨人の第2期黄金期を支えた。1960年(昭和35年)に近鉄に移籍、この年限りで引退した。

人物 / 略歴

大友 工(おおとも たくみ、1925年2月19日 ~ 2013年4月12日)

兵庫県出身。元プロ野球選手(投手)。1960年の登録名は大友 工司(おおとも こうじ)。

読売ジャイアンツ(巨人)、近鉄バファローでプレーした。

◆ 略 歴

大阪逓信講習所を卒業。

就職した神戸中央電信局、但馬貨物等で軟式野球を経験し、その球威を買われて1949年に東京巨人軍に入団する。

入団後に投法をサイドスローに変更。入団2年目の1950年にプロ入り初勝利を挙げ、主戦投手となる。

1952年には松竹ロビンスを相手にノーヒットノーラン達成するなど17勝を挙げ、以後、別所毅彦とともに巨人のエースとして活躍した。

小柄な体格で、しかもサイドスローでありながら、当時の球界を代表する速球投手でもあり、その剛速球と、右打者の外角へ鋭く曲がり、かつ伸びるスライダーを武器に活躍した。

1953年には最優秀防御率、最多勝の二冠(最高勝率投手でもあり、実際には投手部門の三冠すべてが1位)の上、MVPまで獲得した。

オフシーズンには日米野球で来日したニューヨーク・ジャイアンツとの試合において1失点で投げ抜き、日本人投手として初めて米国メジャーリーグ球団相手に完投勝利を挙げた。

敗戦数が少なく、別所毅彦、中尾碩志、安原達佳などがいた当時の巨人投手陣の中では最も安定度の高い投手である。

1955年に30勝を挙げ、2度目の最多勝利投手となったが、この年の敗戦数はわずか6である。30勝以上の成績を挙げ、敗戦数が一桁であった投手は2リーグ分裂後は大友を含めて3人のみであり(1957年の稲尾和久、1959年の杉浦忠)、セ・リーグでは大友のみである。

チーム創成期の広島カープに滅法相性がよく、18連勝の後1敗を挟んでさらに12連勝、7年間で41勝3敗、防御率0.93の記録が残っている。

1956年に阪神タイガース戦で小山正明から利き腕である右手の親指に死球を受けた。この死球禍以降、以前のコントロールと球威が失われて、成績は低迷した。1959年オフに10年選手制度により近鉄バファローに移籍し、1960年に現役引退となった。

2013年4月12日午前5時28分、急性白血病のため東京都内の病院で死去した。88歳没。

特記事項

引退翌年の1961年は千葉茂監督の下で近鉄の投手コーチを務めた。その後、1965年から1966年に中日ドラゴンズの二軍投手コーチを務め、1967年から1968年には、西沢道夫監督、杉下茂監督の下で一軍投手コーチを務めた。

◆ 大友 工 / 主なタイトル

◇ 最多勝:2回 (1953年、1955年)
◇ 最優秀防御率:1回 (1953年)
◇ 最高勝率:2回 (1953年、1955年)

◆ 大友 工 / 主な表彰歴

◇ 最優秀選手:1回 (1953年)
◇ 沢村賞:1回 (1953年)
◇ ベストナイン:1回 (1953年)
◇ 日本シリーズ最優秀投手賞:1回 (1953年)

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