追悼の森 =三國連太郎さん死去=

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俳優  三國連太郎 さん死去

2013年(平成25年)4月14日 死去 享年90歳

三國連太郎写真  

俳優  三國連太郎 さん死去

映画「飢餓海峡」や「釣りバカ日誌」シリーズなどで活躍した俳優の 三國 連太郎(みくに れんたろう)さんが2013年(平成25年)4月14日午前9時18分、急性心不全のため東京都稲城市内の病院で死去した。90歳だった。

西田敏行さんとコンビを組んだ「釣りバカ日誌」では、上司の社長スーさん役を演じ、シリーズは22作を数えた。一昨年の「大鹿村騒動記」では 長男で俳優の佐藤浩市さんと共演し話題となった。昨年、背骨を痛めて入院しリハビリを受けていた。

人物 / 略歴

三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年1月20日 ~ 2013年4月14日)

群馬県太田市に生まれる。本名は佐藤 政雄(さとう まさお)。俳優。

◆ 略 歴

母親は16歳で一家が離散し、広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した。

その後、静岡県沼津駅で知り合った父親となる人物の仕事先だった群馬県太田市で結婚し、三國が生まれた。このため三國は私生児となる。

旧制豆陽中学を二年で中退するまで土肥町(現在の伊豆市)で育った。下田港から密航を企て青島に渡り、その後、釜山で弁当売りをし、帰国後は大阪でさまざまな職に就く。

母からの手紙で、自分に赤紙(召集令状)が来たことを知った。何とか逃げよう」と考え、同居していた女性と郷里の静岡とは反対の西へ向かう貨物列車に潜り込んで逃亡を図った。しかし、憲兵に捕まり連れ戻され静岡の連隊に入れられた。

中国大陸の前線へ送られた三國の部隊は総勢千数百人だったが、生きて再び祖国の土を踏めたのは二、三十人にすぎなかった。

敗戦時、三國は収容所に入れられ、独自に作った化粧品などを売って過ごした。中国からの復員の際に、妻帯者は早く帰国できるということで、同じ佐藤姓の女性と偽装結婚している。

佐世保から広島を経て大阪に戻り、多種多様な職業についた。なお復員時に鉄道で広島駅へ達した際には、駅から四国が望まれ、原子爆弾の脅威を知る。

1948年、女児を身ごもっていた妻と離婚。

鳥取県倉吉市へ行き、県農業会(のちの農業協同組合)に入り、農村工業課を新設、サツマイモの澱粉からグルコースを採取する仕事を指導する。

1950年に東銀座を歩いていたところ松竹のプロデューサー小出孝にスカウトされ、松竹大船撮影所に演技研究生として入る。

1951年、木下恵介監督『善魔』に、岡田英次の代役としてデビュー、役名の「三國連太郎」を芸名にする。

翌年、稲垣浩監督『戦国無頼』への出演を希望し、東宝に移籍。しかし、1954年、稲垣監督『一乗寺の決闘』撮影開始直前に映画製作を再開した日活に走り、「五社協定違反者第1号」となる。大船撮影所の門扉に「犬・猫・三國、入るべからず」との看板が取り付けられたという。

以後、『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演。カリスマ的役柄で、圧倒的存在感をスクリーンに残す。

1984年には紫綬褒章を受章。1986年には映画『親鸞・白い道』を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1993年には、勲四等旭日小綬章を受章した。

レイプシーンなどでも、リハーサルから本気で暴行することで知られ、親しい女優でさえおびえたという。ただしオフの三國は「言動もおだやかで、酒も飲まず、まんじゅうなど甘いものが好物の、仏様のようなおとなしい人物」だという。

結婚を4度経験。俳優の佐藤浩市は3番目の妻との間にできた息子である。

その他にも太地喜和子、石田えりらとのロマンスが取り沙汰され、奔放な女性関係で知られた。太地と出会った時は19歳と41歳という22歳の年の差にも関わらず大恋愛に発展。太地の実家で同棲を開始するも3ヶ月目に「疲れた」という置き手紙を残して太地の元を去った。

近年では『釣りバカ日誌』シリーズ(1988年 - 2009年)で活躍。スーさんの愛称で親しまれている。

また初期には作品としての『釣りバカ日誌』に対して評価は低く、インタビューなどでしばしば「昔の義理で出演している」と語っていた。

最終作となった『釣りバカ日誌20 ファイナル』の会見では「混迷の映画界の中で暗中模索した冒険のような作品」「スタッフの作品作りに対する情熱は日本映画史に永遠に残る」「僕にとって生涯の仕事だった」と語るなど総じて高評価であり、心情の変化が見うけられる。『釣りバカ日誌』シリーズで第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞。

『人間の約束』で息子・佐藤とワンシーンのみの初共演を果たした後、『美味しんぼ』で本格的に親子の役を演じる。

2012年9月には、同年春から首都圏近郊の療養型病院に入院していることが報じられた。一方2012年9月13日号の『週刊文春』では、老人ホームで暮らしていることが報じられた。

2013年4月14日午前9時18分、急性心不全のため東京都稲城市内の病院で死去した。満90歳没。

特記事項

身長181cm、体重75kg。

生前は浄土真宗の熱心な門徒として知られていたが、一方、「戒名はいらない。三國連太郎のままでいく」と話していたという。

◆ 三國 連太郎 / 主な出演映画作品(1990年以降)

◇ 息子(1991年、松竹)
◇ 豪姫(1992年、松竹 / 勅使河原プロ / テレビ朝日)
◇ ひかりごけ(1992年、ヘラルド・エース)
◇ 勝利者たち(1992年、円谷プロ / 東宝)
◇ 大病人(1993年、東宝)
◇ 夏の庭 The Friends(1994年、ヘラルド・エース)
◇ 三たびの海峡(1995年、松竹)
◇ 美味しんぼ(1996年、松竹) - 海原雄山 役
◇ 生きたい(1999年、日本ヘラルド映画)
◇ 虹の岬(1999年、東北新社 / 東宝)
◇ 大河の一滴(2001年、東宝)
◇ 北辰斜にさすところ(2007年、東京テアトル)
◇ 大鹿村騒動記(2011年、東映)
◇ わが母の記(2012年) ※ 遺作

◆ 三國 連太郎 / テレビドラマ(1990年以降)

◇ 冬の旅~ベルリン物語~(1991年、NHK)
◇ 月曜ドラマスペシャル(TBS)
◇ 「ボディガード北へ」(1994年、北海道放送)
◇ ふたりでタンゴを(1999年、NHK)
◇ 新幹線をつくった男たち(2004年、テレビ東京)
◇ 恍惚の人(2006年、日本テレビ)
◇ 松本喜三郎一家物語 ?おじいさんの台所?(2007年、フジテレビ)
◇ 探そう!ニッポン人の忘れ物「ハッピーバースデー」(2009年、フジテレビ)
◇ 鬼平犯科帳スペシャル 一寸の虫(2011年、フジテレビ) - 船影の忠兵衛 役

◆ 三國 連太郎 / 出演CM

◇ 薩摩酒造(1988年)
◇ 全日本空輸(2008年) (息子の佐藤浩市と共演)
◇ 皇潤(2010年)(八千草薫、西田敏行と共演しているバージョンあり)

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