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元大相撲立行司  式守伊之助(30代) さん死去

2013年(平成25年)4月14日 死去 享年77歳

式守伊之助写真  

元大相撲立行司  式守伊之助(30代) さん死去

元大相撲立行司の第30代 式守 伊之助(しきもり いのすけ)さんが2013年(平成25年)が4月14日午前3時4分、胃がんのため東京都中央区内の病院で死去した。77歳だった。

本名は竹田 文雄(たけだふみお)。鹿児島県川辺郡川辺町(現南九州市)出身。16歳で井筒部屋に入門し、式守文雄の名で1953年(昭和28年)夏場所初土俵を踏んだ。2000年(平成12年)秋場所で最高位の行司の一人である式守伊之助を襲名し勝負を裁いた。同年九州場所を最後に定年退職した。

人物 / 略歴

30代 式守 伊之助(しきもり いのすけ、1936年1月2日 ~ 2013年4月14日)

鹿児島県川辺郡川辺町(現南九州市)出身。本名は竹田文雄(旧名:五反田文夫)。大相撲の立行司の一人。

式守伊之助としての在位期間は2000年9月 ~ 2000年11月。井筒部屋所属。

◆ 略 歴

16歳で井筒部屋に入門した。26代木村庄之助の弟子である。

1953年9月に式守文夫の名で初土俵を踏む。

1958年3月に式守正一郎に改名。以後師匠同様7代式守与之吉(のち與之吉)、8代式守勘太夫を襲名し、1993年1月三役格に昇格。

1993年11月場所限りで28代庄之助が引退。立行司が不在となり、序列上位の3代木村善之輔、9代式守錦太夫とともに立行司の昇格を争った。このときは3人の中では最年少の錦太夫が1994年5月に28代伊之助を襲名した。1995年1月に善之輔が29代伊之助を襲名したため、以後三役格のまま停年間近まで裁くことになる。

2000年9月に30代伊之助襲名。

2000年11月後に停年退職。最後の一番は2000年11月場所千秋楽の横綱貴乃花-大関魁皇戦。

立行司在位2場所は死跡1場所のみであった14代伊之助を除けば当時最短記録。ただし、29代伊之助が体調不良やケガでの休場した場所が多く、その際には当時三役格であった勘太夫が横綱の土俵入りなど立行司としての役割を行ったことがあった。

掛け声は野太く、クールな裁きが特徴。華美な装束で目立ち、姿勢も良く貫禄十分であった。

定年後は銀座で地元の鹿児島の焼酎を集めた居酒屋を開いていた。また毒蝮三太夫は友人である。

2013年4月14日、胃癌のため東京都中央区の病院で死去。77歳没。

特記事項

現役の36代庄之助は弟弟子になる。

與之吉時代、十両の取り組みで金城と勝ち名乗りを上げるべきところを、前名の「栃光」と上げてしまったことがあった。

1994年3月場所9日目、大関貴ノ花(のち貴乃花)-小結栃乃和歌戦で、取り組み中に栃乃和歌の廻しの結び目が緩んでしまい、廻し待ったをしようとしたが、両力士が動き出してしまい止めることができなくなった。そこで両力士を元の位置に戻し廻しを締めて勝負再開した。取り組み後勘太夫はそのことで注意を受けた。

◆ 30代 式守伊之助 / 行司履歴

1953年9月 - 初土俵・式守文夫
1958年3月 - 式守正一郎に改名
1963年11月 - 十両格に昇格
1967年5月 - 7代式守与之吉(同年9月場所より與之吉)襲名
1984年1月 - 幕内格に昇格
1990年1月 - 8代式守勘太夫襲名
1993年1月 - 三役格に昇格
2000年9月 - 立行司に昇格。30代式守伊之助襲名
2001年1月2日 - 停年退職

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