追悼の森 =尾崎行雄さん死去=

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元プロ野球選手  尾崎行雄 さん死去

2013年(平成25年)6月13日 死去 享年68歳

尾崎行雄写真  

元プロ野球選手(投手)  尾崎行雄 さん死去

プロ野球の東映などで投手として活躍し「怪童」と称された 尾崎 行雄(おざき ゆきお)さんが2013年(平成25年)6月13日午前8時23分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。68歳だった。

1961年(昭和36年)、大阪・浪商高等学校(現:大坂体育大学浪商高等学校)のエースとして夏の甲子園で優勝し、その後、プロ野球東映(現:日本ハム)で活躍した。剛速球を武器に「怪童」と呼ばれ、プロ1年目の1962年(昭和37年)には20勝を挙げ新人王に輝き、1965年には27勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得した。

人物 / 略歴

尾崎 行雄(おざき ゆきお、1944年9月11日 ~ 2013年6月13日)

大阪府泉大津市出身。元プロ野球選手(投手)。

◆ 略 歴

同姓の政治家である尾崎行雄にあやかって同じ名を付けられた。

浪商高校(現:大阪体育大学浪商高)2年時に1961年の第43回全国高等学校野球選手権大会で優勝投手となり、怪童と呼ばれた。

前年夏の甲子園から三度にわたる法政大学第二高等学校の柴田勲との対決は名勝負として知られる。

同年11月6日に高校を中退し、11月14日に東映フライヤーズへの入団を表明した。1年目の1962年には初登板で勝利投手になるなど20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王に選出された。18歳での新人王は現在に至るまで史上最年少である。

1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得した。

しかし指にマメの出来る体質に苦しみ、また酷使の影響もあって肩を痛め、1968年以降は勝星から遠ざかる。1973年に29歳で現役を引退。

プロ通算107勝を挙げ、夏の甲子園の優勝投手としては戦後初のプロ通算100勝投手となった。

非常に球の速かった投手で、右肩痛を発症するまでは球種のほとんどがストレートであった。プロ野球史上における速球投手の話題では、必ずと言ってよいほど名前が挙がる選手である。中京大学体育学部湯浅景元教授の計算によると、尾崎の直球は159キロは出ていた。

引退後はレストランを経営した後、スポーツ関係の会社に勤務。少年野球の指導を行っていた。

2013年6月13日に肺がんのため死去。68歳没。

特記事項

背番号は、19 (1962年 ~ 1973年)

◆ 尾崎 行雄 / タイトル・表彰

◇ 最多勝:1回 (1965年)
◇ 最多奪三振(当時連盟表彰なし):2回 (1964年、1965年)
◇ 新人王 (1962年)
◇ ベストナイン:1回 (1965年)

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