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「東洋の魔女」主将  河西昌枝 さん死去

2013年(平成25年)10月3日 死去 享年80歳

河西昌枝写真  

「東洋の魔女」主将  河西昌枝 さん死去

1964年(昭和39年)の東京五輪で優勝した女子バレーボール「東洋の魔女」の主将を務めた 河西 昌枝(かさい まさえ、現姓:中村)さんが2013年(平成25年)10月3日零時30分、脳出血のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。

東京五輪では主将兼セッターとして、故 大松博文監督の猛練習の下、チームをまとめた。引退、結婚後もママさんバレーの指導や講演などで競技に携わる一方、1998年(平成10年)の長野五輪で聖火ランナーを務めた。バレーボールの低迷期だった2004年(平成16年)アテネ五輪では、71歳で女子日本代表の団長を務めた。

人物 / 略歴

河西 昌枝(かさい まさえ、1933年7月14日 ~ 2013年10月3日)

現姓は中村。山梨県中巨摩郡(現:南アルプス市)出身。日本の元女子バレーボール選手。

◆ 略 歴

山梨県立巨摩高等学校卒業後、日紡に入社。

『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝。

1964年、東京五輪でコーチ兼主将として、優勝に大いに貢献した。ポジションはセッターで、長身を生かして前衛ではセンタープレーヤーも務めた。

1965年1月に日紡を退社、同年5月30日に当時の総理大臣佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。

2003年3月に日本バレーボール協会女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長(チームマネージャー)を務めた。

2008年にバレーボール殿堂入りを果たした。

2013年10月3日、脳出血のため東京都内の病院にて80歳で死去。

特記事項

周囲が目を覆う苛烈な練習が続いた日々の中、結婚を先延ばしした河西は大松へのささやかな抵抗として、爪を伸ばしていた。

◆ 河西昌枝 / 球歴・所属チーム履歴

◇ 山梨県立巨摩高等学校 → 日紡関ヶ原 → 日紡足利 → 日紡貝塚(-1964年)

◆ 河西昌枝 / 全日本代表としての主な国際大会出場歴

◇ 世界選手権 - 1960年、1962年
◇ 東京オリンピック - 1964年

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