追悼の森 =曻地三郎さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【さ~し~す~せ~そ】 著名人訃報一覧【さ~し~す~せ~そ】  著名人訃報一覧 2013年 著名人訃報一覧 Ver.74
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

教育学者  昇地三郎 さん死去

2013年(平成25年)11月27日 死去 享年107歳

昇地三郎写真  

教育学者  昇地三郎 さん死去

知的障害児教育施設の先駆けとして知られ「しいのみ学園」の創設者で107歳の現役教育学者 昇地 三郎(しょうち さぶろう)さんが2013年(平成25年)11月27日、心筋梗塞と心不全のため福岡市内の病院で死去した。107歳だった。

福岡学芸大(現:福岡教育大)の教授だった1954年(昭和29年)、脳性小児まひの息子2人が学べる学校を作ろうと、現:知的障害児通園施設「しいのみ学園」を設立。障害児教育の草分け的存在として知られた。障害児との交流を描いた自著「しいのみ学園」はベストセラーとなり、映画化された。また、中国・吉林省では同国初の養護学級の開設を実現するなど、国内外で障害児教育の普及に尽力した。

人物 / 略歴

曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月16日 ~ 2013年(平成25年)11月27日)略字:昇地三郎、旧姓:山本三郎)

北海道釧路市に生まれる。教育者、教育学者。

私財を投じて日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した。

福岡教育大学教育学部教授、韓国社会事業大学(現:大邱大学校)教授・大学院長、社会福祉法人しいのみ学園理事長兼園長を歴任。

◆ 略 歴

1906年(明治39年)、北海道釧路市にて山本長八・かよの次男(9人兄弟)として生まれる。

父・長八は山口県熊毛郡上関村(現:上関町)祝島出身で、大日本帝国陸軍旭川27連隊中隊長などを務めた軍人。母・かよは広島県安佐郡長束村(現:広島市安佐南区)出身。

1913年(大正2年)、三郎が6歳のとき一家で、父の郷里・山口県祝島に転居。山口県熊毛郡上関村立祝島尋常小学校1年へ入学した。

1914年(大正3年)、兄とともに賀茂郡寺西村立寺西尋常高等小学校(現:東広島市立寺西小学校)に転入する。

1920年(大正9年)、旧制山口県岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)に入学。

1922年(大正11年)、広島師範学校(現:広島大学)に入学。

1926年(大正15年)、広島師範学校卒業後、19歳から原田尋常高等小学校(現:安芸高田市立来原小学校)で教職に就く。

1928年(昭和3年)、広島高等師範学校専攻科(現:広島大学大学院)に進学。

1931年(昭和6年)、広島高等師範学校卒業後、広島文理科大学助手を経て、大阪の泉北郡浜寺石津尋常小学校(現:堺市立浜寺石津小学校)教員となる。

1934年(昭和9年)、広島高等師範学校時代の下宿の女将の紹介でお見合いをし、29歳で岩国市新港で造り酒屋や船問屋を営む家の娘だった露子と結婚。

1936年(昭和11年)、長男・有道が生まれる。同年、小学校教員を辞職し、広島文理科大学心理学科に進学、教育心理学を学ぶ。

翌1937年(昭和12年)、長男・有道、生後11ヶ月のときに、高熱を出し脳性小児麻痺にかかる。

1939年(昭和14年)、広島文理科大学卒業。岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)教員となる。

長男の治療のため九州帝国大学医学部附属病院(現:九州大学病院)の小児科に通う。同年、妻・露子の父が死去。

1940年(昭和15年)、福岡に転居し、福岡県女子師範学校(現:福岡教育大学)専攻科主任に着任。

1944年(昭和19年)、長女・邦子が生まれる。

1945年(昭和20年)福岡県女子師範学校の校舎が空襲で消失し、福岡学芸大学(現:福岡教育大学)久留米分校教授。久留米大学医学部講師(心理学)。

1947年(昭和22年)、次男・照彦が生れる。しかし、長男同様、1歳を向える直前に脳性小児麻痺となる。

1948年(昭和23年)、妻・露子の実家・曻地家の指定相続人となり、山本姓より曻地姓へ改姓。

1949年(昭和24年)、福岡学芸大学(現:福岡教育大学)・福岡第二師範学校に着任する。1951年(昭和26年)には、福岡学芸大学本校教授に。

1952年(昭和27年)、九州大学医学部へ内地留学。専修科を修了し、精神医学を学ぶ。

1954年(昭和29年)、郊外に家のとなりに、1000坪を購入し、妻の実家の造り酒屋などを売却した金で養護学校「しいのみ学園」を設立。障害児教育に挺身するが、2年後に違法行為があったとして認可取消処分を受ける。

当時はまだ学校教育法に基づく養護学校(現在の特別支援学校)制度が整備されていなかった時代であっただけに、日本初の障害児のための教育施設として注目を集めた。

長男・有道は、校務員として働いていたが、1960年(昭和35年)に掘りごたつに落ちて大やけどを負って以来寝たきりとなってしまった。

1956年(昭和31年)、九州大学から医学博士の学位を取得(第3378号)。

1874年(明治7年)からの100年間で、森鴎外に続き2人目の医学博士と文学博士の両学位を有する者となる。同年、広島文理科大学からペスタロッチ賞を授与される。

1970年(昭和45年)福岡教育大学を定年退職し、韓国社会事業大学(現大邱大学校)教授・大学院長に就任。

1976年(昭和51年)、70歳のとき、やけどのため寝たきりだった長男・有道が39歳で他界。

1978年(昭和53年)、翌年4月の養護学校義務教育制にともない、社会福祉法人しいのみ学園に改組。同理事長兼園長に就任。

1980年(昭和55年)、長年にわたり、夫妻協力して心身障害児教育に挺身し、「早期発見」「早期教育」にすぐれた成果をあげているとして、妻・露子とともに吉川英治文化賞を受賞。

1996年(平成8年)、20年間看病をしていたパーキンソン病の妻・露子が86歳で他界。

2002年(平成14年)、麻痺が進んで45歳から寝たきりだったに次男・照彦が2002年(平成14年)55歳で他界。

同年、韓国・大邱大学校に曻地奨学基金を寄贈。読売新聞社主催ニューエルダーシチズン大賞受賞。

2003年(平成15年)春、長女・邦子が58歳で他界。邦子は広島大学教育学部卒業後、しいのみ学園で言語治療に従事していた。

2004年(平成16年)中国長春市の解放大路小学校と共同して、障害児教育のための「しいのみクラス」を同小学校内に設置。

2005年(平成17年)、数えの100歳を期して、世界一周講演旅行を始め、以後毎年続けている。

2006年(平成18年)は、中国上海・華東師範大学、アメリカ・ハーバード大学、フランス・ユネスコ、シンガポール日本人学校、香港・創価幼稚園などを訪問、講演。

2007年(平成19年)には、広島大学からペスタロッチー教育賞を受賞。

2010年(平成22年)5月3日、韓国政府より国民勲章を受章。同年、福岡県後期高齢者医療広域連合から「健康長寿マイスター」に任命されている。

2012年(平成24年)2月しいのみ学園理事及び園長から退任。

8月16日、「公共交通機関を利用して世界一周をした最高齢者」としてギネス世界記録に認定された。

2013年(平成25年)11月27日未明に福岡市南区井尻の自宅で体調不良を訴えて福岡市内の病院に入院、同日午後に心筋梗塞・心不全のための病院で死去した。107歳没。

特記事項

広島文理科大学文学博士、九州大学医学博士、福岡教育大学名誉教授、韓国・建陽大学校名誉教授、中国・長春大学名誉教授、上海・華東師範大学名誉教授、モスクワ心理教育大学名誉教授。

大韓民国国民勲章受章。広島大学ペスタロッチー教育賞受賞。吉川英治文化賞受賞。朝日社会福祉賞受賞。

◆ 曻地三郎 / 著書

◇ 『Parent and Child Toymaking Class』三才児教育学会、2003年
◇ 『曻地式手作りおもちゃ・親子愛情教室』三才児教育学会、2003年
◇ 『禍を転じ福と為す』西日本新聞社、2004年
◇ 『ただいま100歳』致知出版社、2005年
◇ 『100歳先生の「生きる力」を伝える幼児教育』生活人新書、2006
◇ 『102歳児』山本KATI出版、2008年
◇ 『106歳を越えて、私がいま伝えたいこと』こう書房、2012年、ISBN 978-4-7696-1077-9

◆ A Related Words :
昇地三郎 死去/昇地三郎 養女/昇地三郎 ブログ/昇地三郎 訃報/昇地三郎 創価学会/昇地三郎 創価/昇地三郎 家族/昇地三郎葬儀/しいのみ学園 昇地三郎/昇地三郎 西日本新聞/昇地三郎 プロフィール/昇地三郎 略歴/曻地三郎 死去

Page Top

スマートフォン / PC サイト