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大相撲の元関脇金剛 前二所ノ関親方死去

2014年(平成26年)8月12日 死去 享年65歳

前二所ノ関親方写真  

元金剛 前二所ノ関親方死去

大相撲の元関脇金剛で前二所ノ関親方の 北村 正裕(きたむら まさひろ)さんが 2014年(平成26年)8月12日、死去した。65歳だった。

日本相撲協会理事も務め、2011年の八百長問題では広報部長として対応に当たった。2012年(平成24年)10月より脳梗塞のため東京都内の病院に入院し、手術を受けたが思ったように回復できず、長期の療養を続けていたという。また、部屋の運営が困難になったため、2013年初場所を最後に部屋を閉鎖。同年6月には相撲協会を退職した。

人物 / 略歴

金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年(昭和23年)11月18日 ~ 2014年(平成26年)8月12日)

北海道雨竜郡一已村(現:北海道深川市)出身。本名は北村正裕(きたむら まさひろ、旧姓:吉沢)。元大相撲力士。

得意技は右前褌、寄り。最高位は東関脇。

◆ 略 歴

北海道立音江中学校時代は野球で剛速球投手・4番打者として活躍し、北海高等学校から勧誘されるほどだった。

1963年、夏の巡業で訪れた大鵬幸喜に憧れて力士を志すようになり、二所ノ関部屋に入門した。

1964年5月場所で初土俵を踏んだ。

1969年5月場所で新十両に昇進。

1970年に十両で連続優勝を達成して同年9月場所で新入幕を果たした。憧れだった大鵬幸喜の横綱土俵入りでは露払いを務めた。

1975年7月場所は前頭筆頭ながら三役力士全員に黒星を付け、特に北の湖敏満からは金星を再度奪うなど快進撃を続け、13勝2敗で幕内最高優勝を果たした。しかし、勝ち越しと負け越しの繰り返しで三役の定着は果たせなかった。

先々代の二所ノ関の死去を受けて後継者を誰にするかで押尾川と揉めている最中、先々代・二所ノ関の次女と婚約して未亡人と養子縁組をすることで後継者争いに終止符を打った。

幕内最高優勝から1年後、部屋継承のために1976年9月場所の直前に現役引退を表明した(9月場所番付には掲載された)。まだ27歳の若さで、部屋継承の最年少記録として残っている。因みに先代の次女とは短期間で離婚している。

2012年10月より脳梗塞のため東京都内の病院に入院。手術を受けたが思ったように回復はできず療養は長期化し、部屋経営が困難となったことから、2013年1月場所限りで部屋を閉鎖した。

その後、健康上の事由により2013年6月20日付にて日本相撲協会を退職した。

退職後は病気療養に専念していたが、2014年8月12日に死去。65歳没。

特記事項

金剛の退職までの約1年半の間に二所ノ関一門では悲報が続いていた。

2011年11月には先代鳴戸が急逝。

2012年4月には尾車が転倒事故で頸椎を損傷し、復帰まで半年間に渡ってほぼ全身不随の憂き目に遭う。

2013年1月19日には二所ノ関を代表する大横綱・大鵬が死去。

そのわずか9日後の同年1月28日に自身が病気療養のために部屋を閉鎖した。

◆ 元金剛 / 主な成績

◇ 通算成績:449勝414敗 勝率.520
◇ 幕内成績:259勝281敗 勝率.480
◇ 現役在位:74場所
◇ 幕内在位:37場所
◇ 三役在位:6場所
◇ 殊勲賞:3回(1974年9月場所、1975年5月場所、1975年7月場所)
◇ 金星:3個(北の湖3個)
◇ 連続出場:863回(1964年7月場所 ~ 1976年7月場所)
◇ 幕内最高優勝:1回(1975年7月場所)
◇ 十両優勝:2回 (1970年5月場所、1970年7月場所)
◇ 幕下優勝:1回 (1969年3月場所)
◇ 序ノ口優勝:1回 (1964年7月場所)

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