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三味線漫才コンビ 暁 照雄 さん死去

2015年(平成27年)5月29日 死去 享年78歳

暁照雄写真 

三味線漫才コンビ 暁 照雄 さん死去

三味線漫才コンビ「暁照雄・光雄」の 暁 照雄(あかつき てるお)さんが 2015年(平成27年)5月29日午前4時32分、下咽頭(いんとう)がんのため大阪市内の病院で死去した。78歳だった。

本名は浜田登志夫。1950年(昭和25年)6月、浪曲の二代目東洋軒雷右衛門に入門し、東洋軒雷坊の芸名で初舞台を踏む。1958年(昭和33年)に四代目宮川左近、松島一夫、高島和夫と共に「宮川左近ショウ」を結成し、昭和47年第7回上方漫才大賞を受賞するなど注目を集めた。宮川左近の病死に伴い、1987年(昭和62年)に弟子の光夫とコンビを結成。2008年(平成20年)には文化庁芸術祭賞大衆演芸部門大賞を受賞。

人物 / 略歴

暁 照雄(あかつき てるお、1937年5月17日 ~ 2015年5月29日)

徳島県出身。本名は浜田 登志夫(はまだ としお)。

暁照雄・光雄(あかつき てるお・みつお)は、松竹芸能所属の音曲漫才コンビ。

◆ 略 歴

照雄の父は浪曲師兼興行師で、兄も浪曲師。

地元の天狗連(素人連)では天才少年浪曲師として知られた。

1948年二代目 東洋軒雷右衛門に修行に出され、東洋軒雷坊の名を貰い四国・宇和島の融通座で入門翌日に初舞台を踏む。

14歳で座長昇格し独立、一座を率いて旅回りに出るが、変声期で喉を傷めて1954年から曲師・暁照雄として再出発した。

東京に出て浪曲師三門博の曲師を務めたり、大阪で河内音頭の鉄砲光三郎と組んで新世界新花月や道頓堀角座に上がったりしていた。

1958年に四代目宮川左近、松島一夫、高島和夫と共に宮川左近ショウを結成した(同時に「照夫」に改名)。

1972年「第7回上方漫才大賞」を受賞するなど、上方演芸界で永らく大看板を張るが、宮川左近の病死に伴い1986年トリオ消滅。

照夫はピンの三味線漫談に転向し、翌1987年からは弟子の光夫と音曲漫才コンビ暁照夫・光夫を結成。

左近ショウの印象が強烈過ぎたり、光夫が舞台上で師匠に対して遠慮がちだったりで、初めの頃はなかなか受けなかった。

2008年に文化庁芸術祭賞大衆演芸部門大賞を受賞。

2013年7月、それまでの表記から暁照雄・光雄に改名。

照雄は浪曲三味線の屈指の上手として知られ、ひとしきり早弾きをした上で、「なんでこんなにうまいんやろ」と自惚れるギャグは、左近ショウ以来の定番である。

2015年5月29日午前4時32分、下咽頭(いんとう)がんのため大阪市内の病院で死去した。78歳だった。

特記事項

ミナミ千日前でスナック『三味』を経営している。

長男は、大阪府高槻市の市長であり弁護士の濱田剛史である。

◆ 著書

◇ 泣いて笑ってちりとてちん - 三味線かかえて40年 ある幸せなる芸人の浪花節的人生論(1990年、メタモル出版) ISBN 4895950212

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