追悼の森 =大豊 泰昭さん死去=

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元プロ野球選手 大豊泰昭 さん死去

2015年(平成27年)1月18日 死去 享年51歳

大豊泰昭写真 

元プロ野球選手 大豊 泰昭 さん死去

台湾出身で中日、阪神両球団の4番打者を務めた 大豊 泰昭(たいほう やすあき)さんがが 2015年(平成27年)1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去した。51歳だった。

本名は陳大豊(チェン・ダーフォン)。華興高から1984年(昭和59年)に来日し名古屋商科大学に進学。卒業後、中日球団職員として1年間在籍後、1988年(昭和63年)中日に入団した。1998年に交換トレードで阪神に移籍。2001年中日復帰後、2002年(平成14年)に現役を引退した。現役時代は左投げ左打ちの内外野手として活躍した。引退後は、軽食の「大豊ちゃん」の経営のかたわら、地元テレビやラジオへのゲスト出演、東海地方を中心に各地で野球教室、講演活動を行っていた。

人物 / 略歴

大豊 泰昭(たいほう やすあき、1963年11月15日 ~ 2015年1月18日)

台湾南投県埔里鎮出身。本名は陳 大豊(チェン・ダーフォン)。元プロ野球選手。

元プロ野球選手の大順将弘(陳大順)は弟。

◆ 略 歴

東峰中では台湾大会で優勝し、華興高では世界大会で優勝。

王貞治に憧れて日本行きを希望するが、20歳にならないと出国できないため、卒業後に2年間母校でコーチを務めた。

愛知県新城市在住の新聞販売店主が大豊の引受人となって、1984年に名古屋商科大学へ入学。

愛知大学野球リーグ通算96試合出場し、全日本代表にも2回選出された。

卒業後は、日本人選手扱いとして日本プロ野球(NPB)入りするため中日ドラゴンズの球団職員として1年間在籍。

◆ 中日時代

1988年、中日と選手契約。背番号を55とした。

1992年、臨時コーチとして訪れた張本勲に勧められ、一本足打法を始める。

1994年には38本塁打、107打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。

また、同年は対広島東洋カープ戦で18本塁打を記録し、年間カード別最多本塁打の日本記録を樹立。

1998年に矢野輝弘とともに関川浩一・久慈照嘉との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。

◆ 阪神時代

2000年には通算250本塁打、通算1000本安打を達成した。

2000年オフの契約更改で、自ら自由契約を申し入れて、阪神を退団した。

◆ 中日復帰

2001年に中日に復帰した。同年には台湾代表としてIBAFワールドカップに出場した。

2002年、出場は27試合にとどまり、オフに戦力外通告を受けて現役続行を希望したが、獲得球団はなく現役を引退。

◆ 引退後

引退後、中日球団のアジア地区担当スカウト兼少年野球指導担当を経て、名古屋市中区に中華料理店「大豊飯店」を開業。

中日球団のアジア地区担当スカウトとして、台湾から陳偉殷を2004年に中日入団へ導いた。

2009年3月、急性骨髄性白血病を患い入院。

2010年3月に再発。実妹からの骨髄移植を受けた。

2015年1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市の病院で死去。51歳没。

特記事項

1990年に元女優と結婚、妻との間に2女をもうけた。

長女は宝塚歌劇団95期生星組男役ひろ香祐(ひろか ゆう)。

◆ タイトル

◇ 本塁打王:1回 (1994年)
◇ 打点王:1回 (1994年)

◆ 表彰

◇ ベストナイン:1回 (一塁手:1994年)
◇ 月間MVP:3回 (1994年6月、1994年9月、1996年5月)
◇ IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (1994年)
◇ 優秀JCB・MEP賞:1回 (1994年)

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