追悼の森 =斉藤 仁さん死去=

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元柔道選手 斉藤 仁 さん死去

2015年(平成27年)1月20日 死去 享年54歳

斉藤仁写真 

元柔道選手 斉藤 仁 さん死去

ロサンゼルス、ソウル五輪の柔道男子で2大会連続金メダルを獲得した 斉藤 仁(さいとう ひとし)さんが 2015年(平成27年)1月20日午前2時56分、胆管がんによる癌性胸膜炎のため大阪府東大阪市内の病院で死去した。54歳だった。

1983年(昭和58年)、国士舘大学卒業後、モスクワ世界選手権無差別で優勝。1984年のロス五輪では95キロ超級で金メダルを獲得した。1988年のソウル五輪では、最終日まで金メダルゼロという重圧をはねのけ、東京五輪より続く日本柔道の金メダル獲得記録を継続させた。引退後は国士舘大教授となり、2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪で日本男子選手団監督を務めた。2013年に胆管がんを患い、闘病生活を続けていた。

人物 / 略歴

斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 ~ 2015年1月20日)

青森県青森市出身。元柔道選手。

ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック 柔道競技男子 95kg超級金メダリスト。

柔道コーチ、国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。段位は七段。

全日本柔道選手権大会における、山下泰裕9連覇の最後の3年間の決勝の対戦相手だった。

◆ 略 歴

1961年、青森市筒井八ッ橋(現:筒井2丁目)で生まれる。

1967年、青森市立筒井小学校入学。

1973年、青森市立筒井中学校入学。柔道部に所属。3年生では青森県中学校体育大会夏季大会重量級で優勝。

1976年、青森市立筒井中学校卒業。国士舘高等学校入学。

1977年、高校2年夏のインターハイ団体決勝戦で代表戦に出、見事快勝し東京勢初の優勝校に導く。当時の体重は120?130kg

1979年、国士舘高等学校から国士舘大学体育学部へ。

1983年、大学卒業、国士舘大学体育学部助手に。モスクワ世界選手権無差別で優勝

1984年、ロサンゼルスオリンピック、金メダル。選手時代は180cm・155kg

1985年、世界柔道選手権大会決勝で地元の韓国代表趙容徹の反則技により、脱臼する重症で棄権負け。通常ルールならば反則を犯した方が反則負けになるはずだが、斎藤の棄権負けという不可解なものだった。

1988年の全日本選手権で悲願の初優勝を果たしソウルオリンピック95kg超級代表に選出された。

1988年、ソウルオリンピック、金メダル。

95kg超級までの階級で日本人柔道は金メダルを全て逃しており、東京五輪より続く日本柔道の金メダル獲得記録の継続が斉藤に託されるという状況であった。同大会の柔道競技唯一の金メダルを獲得する。

選手引退。以後国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活躍。国士舘大学体育学部教員を兼任。

2004年、アテネオリンピック日本選手団男子柔道監督。

2007年、講道館の鏡開きの際、形の演武を行った。

2008年、北京オリンピック日本選手団男子柔道監督。

2012年、副強化委員長から強化委員長に昇格した。

2014年、太陽光発電の株式会社 スカイライフ パートナー

2015年1月20日、肝内胆管がんにより、午前3時頃、大阪府東大阪市内の病院にて逝去。満54歳。

特記事項

息子の立(たつる)も柔道選手で、2013年には12歳で既に100kgを越える体格であるという。

◆ 斉藤 仁 / 著書

◇ 『じょっぱり柔道』(1989年2月、国書刊行会)
◇ 『スポーツグラフィック 柔道』(1997年6月、成美堂出版)
◇ 『常勝力』(2008年7月、幻冬舎)

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