追悼の森 = 盛田 幸妃 さん死去 =

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【ま~み~む~め~も】 著名人訃報一覧【ま~み~む~め~も】  著名人訃報一覧 2015年 著名人訃報一覧 Ver.65
nagomi画像
Mobile View
スマートフォンサイト訃報

元プロ野球選手 盛田 幸妃 さん死去

2015年(平成27年)10月16日 死去 享年45歳

盛田幸妃写真 

元プロ野球選手 盛田 幸妃 さん死去

プロ野球の横浜大洋、近鉄で投手として活躍し「奇跡のリリーバー」と呼ばれた 盛田 幸妃(もりた こうき)さんが 2015年(平成27年)10月16日午前、横浜市内の自宅で死去した。45歳だった。

北海道茅部郡鹿部町出身。1987年(昭和62年)、ドラフト1位で大洋(現:DeNA)に入団。1992年には最優秀防御率を獲得した。1997年に近鉄に移籍。1998年9月、脳腫瘍の手術を受け、2001年6月13日にダイエー戦で1082日ぶりに勝利を挙げ、同年カムバック賞を受賞。「奇跡のリリーバー」と呼ばれ、リーグ優勝にも貢献した。引退後は評論家として活躍するも、ここ数年はがんで入退院を繰り返すなど、闘病生活が続いていたという。

人物 / 略歴

盛田 幸妃(もりた こうき、1969年11月21日 ~ 2015年10月16日)

北海道茅部郡鹿部町出身。元プロ野球選手(投手)。

1994年から1997年までの登録名は盛田 幸希。

現役時代に脳腫瘍に罹患しながら、リハビリにより復活を遂げた。

◆ 略 歴

函館有斗高校(現:函館大学付属有斗高校)所属時に3度の甲子園出場を経験した。

1987年秋のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団した。

1988年5月21日の中日ドラゴンズ戦で一軍デビュー。

1992年、最優秀防御率のタイトルを獲得した。

オールスターゲームにも監督推薦で初出場。

佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」と呼ばれる。

だが球団名が横浜ベイスターズに変更された翌1993年は、春季キャンプ前の自主トレ中に右ひざ靭帯を損傷し、22試合出場に終わる。

1994年に登録名を「盛田 幸妃」から「盛田 幸希」(読みは同じ)に変更。

1995年はリーグ最多登板、オールスターゲームに監督推薦で2度目の出場。

1996年に監督の大矢明彦による大規模コンバートの一環として先発投手に転向し、レギュラーシーズン開幕投手を務める。

1997年にも二年連続で開幕投手(中日戦)となるが、1回裏に立浪和義に先頭打者本塁打を打たれる。

6回3失点で敗戦投手となり、盛田はナゴヤドームでの敗戦投手第1号ともなった。

閉幕後、中根仁との交換トレードで近鉄バファローズに移籍。(佐野重樹の肘故障による代役)

1998年に登録名を「幸妃」に戻す。

近鉄移籍後はリリーフ専任に戻り開幕から好投していたが、5月末頃から右足首の違和感や麻痺などが起こり次第に状態が悪化、8月13日に一軍登録抹消。

検査の結果、ゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が見つかり、9月に摘出手術を受ける。

このとき医師から「スポーツ脳に腫瘍があり、普通の生活に戻れても、野球選手としては諦めなければならないかもしれない」と通告されたという。

手術後も右足に麻痺が残る後遺症があったがリハビリで克服。

驚異的な回復力で、翌1999年8月には二軍戦に登板できるようになり、同年シーズン最終戦で一軍復帰した。

2001年6月13日の福岡ダイエーホークス戦、同点の5回裏1死1、2塁で登板してピンチを抑え、7回表にチームが勝ち越して1082日ぶりの勝利投手となる。

この年は34試合に登板して近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献する。

オールスターゲームにも中継ぎ投手部門でファン投票1位で選ばれ、カムバック賞を受賞。

2002年9月25日に、同年シーズン限りでの現役引退を表明。

10月6日のオリックス・ブルーウェーブ戦(大阪ドーム)で引退試合が行われ、5年振りに先発した。

同年、球団職員として横浜に復帰した。

◆ 引退後

横浜球団の職員を務めながら、TBSラジオ専属の野球解説者として活躍。

TBSニュースバードと北海道放送(HBC)のテレビ・ラジオ中継のゲスト解説者としても客演。

高校時代の在学地・函館で例年2日間開催される北海道日本ハムファイターズの主催試合では、両日共にHBCラジオで解説を務めた。

キャッチコピーは「奇跡のリリーバー」。

2005年の夏に脳腫瘍が再発するが、翌2006年2月に除去手術を受けて成功した。

しかし、その後も2010年に脳腫瘍の転移した骨腫瘍が発生、2013年には脳腫瘍も再発、骨への転移と手術も繰り返すようになり、2014年の春には大腿骨を骨折するような状況であった。

2015年10月16日午前、病気のため死去。享年45歳。

特記事項

5歳のとき実弟を脳腫瘍で亡くした。

◆ タイトル

◇ 最優秀防御率:1回(1992年)

◆ 表彰

◇ 月間MVP:1回(1992年8月)
◇ カムバック賞(2001年)

◆ 記録

◇ 初登板:1988年5月21日、対中日ドラゴンズ6回戦(宮城球場)、7回表に5番手で救援登板、1回1/3を3失点
◇ 初奪三振:同上、8回表に小野和幸から
◇ 初先発:1988年9月11日、対ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム)、3回3失点
◇ 初勝利・初先発勝利:1991年10月10日、対阪神タイガース25回戦(横浜スタジアム)、6回5失点(自責点2)
◇ 初完投勝利:1992年4月16日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点
◇ 初セーブ:1992年6月11日、対ヤクルトスワローズ12回戦(横浜スタジアム)、6回表に2番手で救援登板・完了、4回無失点
◇ オールスターゲーム出場(1992年、1995年、2001年)

◆ 背番号

◇ 15 (1988年 ~ 1993年)
◇ 17 (1994年 ~ 1997年)
◇ 21 (1998年 ~ 2002年)

◆ A Related Words :
盛田幸妃 現在/盛田幸妃 2015/盛田幸妃 韓国/盛田幸妃 子供/盛田幸妃 Facebook/盛田幸妃 倫子/盛田幸妃 2ch/盛田幸妃 再発/盛田幸妃 病気/盛田幸妃 落合/盛田幸妃 略歴/盛田幸妃 プロフィール/盛田幸妃 死去/訃報 盛田幸妃

Page Top

Mobile View / Desk Top