追悼の森 =北の湖理事長 死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【か~き~く~け~こ】 著名人訃報一覧【か~き~く~け~こ】  著名人訃報一覧 2015年 著名人訃報一覧 Ver.68
nagomi画像
Mobile View
スマートフォンサイト訃報

日本相撲協会 北の湖理事長 死去

2015年(平成27年)11月20日 死去 享年62歳

北の湖理事長写真 

大相撲の元横綱 北の湖理事長 死去

大相撲の元横綱で日本相撲協会の理事長 北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)さんが 2015年(平成27年)11月20日午後6時55分、直腸がんと多臓器不全のため福岡市中央区天神の県済生会福岡総合病院で死去した。62歳だった。本名は小畑 敏満。

九州場所のため福岡市内に滞在していたが、20日朝、体調を崩して救急搬送されていた。北海道有珠郡壮瞥(そうべつ)町出身。1966年(昭和41年)に13歳で三保ケ関部屋に入門、1967年初場所で初土俵を踏んだ。1974年(昭和49年)の名古屋場所後に、現在も破られていない史上最年少の21歳2か月の若さで横綱に昇進した。全盛期には「憎らしいほど強い横綱」と呼ばれ、ライバルと言われた横綱輪島との対戦も土俵を沸かせ、「輪湖(りんこ)時代」と呼ばれた。1985年初場所で引退。引退後も約10年間にわたり日本相撲協会理事長として角界を支えてきた。

人物 / 略歴

北の湖 敏満(きたのうみ としみつ、1953年5月16日 ~ 2015年11月20日)

北海道有珠郡壮瞥町出身。本名は小畑 敏満(おばた としみつ)。元大相撲力士。第55代横綱。

日本相撲協会理事長(第9代、第12代)。息子は、俳優の北斗潤。

◆ 略 歴

8人きょうだいの7番目、四男として誕生した。

幼い頃から食欲旺盛だったことから堅太りであった。

特に小学校6年生からの成長ぶりが著しく、12歳の時に身長160cm強、体重60kg程度の体格だったものが、13歳の中学1年生の時点で、既に身長173cm、体重100kgに達していた。

◆ 入門~スピード出世

「北海道南部に怪童あり」との噂を聞きつけた多くの相撲部屋から熱心に勧誘されたが、女将が手編みの靴下を送ってくれたことで三保ヶ関部屋に入門し、北海道から上京して墨田区立両国中学校へ転校した。

1967年1月場所に三保ヶ関の長男であり、後に大関となる増位山とともに初土俵を踏む。

四股名の「北の湖」は、故郷にある洞爺湖に因んで三保ヶ関が命名した。

中学生の頃から得意だった柔道を始め、野球・水泳・スキーで鍛えたスポーツ万能の体を生かしてスピード出世し、最年少昇進記録(当時)を次々に樹立。

中学卒業間際の1969年3月には15歳9ヶ月で幕下に昇進。

「北の怪童」の異名を取り、十両以下の優勝(下位優勝)がないまま、1971年5月場所に17歳11ヶ月で十両に昇進。

◆ 入幕~横綱へ昇進

1972年1月場所には新入幕(18歳7ヶ月)を果たし、1973年には19歳7ヶ月で小結に昇進。

1974年1月場所では14勝1敗で初優勝を果たして大関に昇進。

同年7月場所後に21歳2ヶ月の若さで横綱へ昇進した。

新三役から横綱昇進までわずか所要6場所であり、この時期について本人は「あの1年って、なんだったんだろうな」と後年まで目まぐるしく思っている。

◆ 横綱時代

1977年3月場所、自身初の全勝優勝を果たし、これ以降は5場所連続優勝(1978年)を果たすなど「憎らしいほど強い横綱」と言われるようになり、敗れると観衆が湧いた。

同時代には、絶大な人気を誇った美男力士(貴ノ花・千代の富士・蔵間など)が多く、そういった人気者を容赦なく倒す北の湖は必然的に「敵役」と見なされる運命にあった。

それでも逆に、真摯に土俵を務める北の湖の姿や圧倒的勝負強さに魅了される好角家も少なくなかった。

先輩横綱である輪島は最高の好敵手であり、「輪湖(わうみ・りんこ)時代」を築いた。

輪島・北の湖対戦は、1972年7月場所 ~ 1981年1月場所の52場所間に44回実現し、千秋楽結びの一番の対戦は史上2位の22回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が8回(相星決戦が4回)、水入りが3回と数多くの名勝負が展開された。

◆ 現役引退

1985年1月場所、こけら落としとなった両国国技館の土俵に現役で臨んだが、敗れて2連敗。

横綱特権での5年時限の年寄襲名前提で引退届を提出した(当時は優勝32回の大鵬しか一代年寄の例がなかった)。

引退表明後、協会より現役時代の功績に対して一代年寄・北の湖が授与された。

◆ 引退後

現役引退後には日本放送協会の大相撲中継の解説を度々務め、また報知新聞社専属評論家を務めていたこともある。

日本相撲協会では、1988年に監事(現:副理事)として審判部副部長などを務め、1996年には理事に昇格。1998年には事業部長に就任。

◆ 日本相撲協会理事長として

2002年に第9代理事長へ就任した。

2008年2月、定例の役員選挙で出羽海一門代表として理事に再選、役員の互選により理事長に4選された。

2008年9月8日、大相撲力士大麻問題が世間の耳目を集める中で開催された日本相撲協会の臨時理事会において、理事長を辞任して理事(大阪場所担当部長)に降格することを発表、後任理事長には武蔵川が選出された。

2011年4月6日、大相撲八百長問題で弟子が関与したことを受けて、理事から役員待遇委員(大阪場所担当部長代理)に降格。

2012年1月30日に行われた日本相撲協会理事選挙に再び立候補し、理事長に当選。

過去に辞任した理事長が復帰を果たしたケースは、日本相撲協会史上初となる。

2013年5月16日には満60歳の還暦を迎え、同年5月場所後の6月9日に両国国技館で、記念パーティー開催と赤い綱を締めての還暦土俵入りを披露した。

また、日本相撲協会の理事長在任中に還暦土俵入りを行ったのは、1988年4月の二子山親方(第45代横綱・初代若乃花)以来25年ぶり4人目。

◆ 死去

2015年九州場所が開かれているさなかの11月19日夜に持病の貧血の症状を示す。

翌11月20日朝に救急車で福岡市の済生会福岡総合病院に搬送されて入院し、点滴治療などを受けていた。

2015年(平成27年)11月20日午後6時55分、直腸癌と多臓器不全のため死去。62歳没。

理事長在職中の死去は時津風定次理事長 (1968年) 以来のことだった。

特記事項

大の酒好きであり、アイスペールにウイスキーやブランデーを注いで仲間たちと回し飲みすることが好きであった。

1960年代に子供が好きだった物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、子供が嫌いな物として「江川・ピーマン・北の湖」という言葉が生まれた。

◆ 主な成績

◇ 通算成績:951勝350敗107休 勝率.731
◇ 幕内成績:804勝247敗107休 勝率.765
◇ 横綱成績:670勝156敗107休 勝率.811
◇ 現役在位:109場所
◇ 幕内在位:78場所
◇ 横綱在位:63場所(歴代1位)
◇ 大関在位:3場所
◇ 三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)
◇ 対横綱戦勝利:42勝
◇ 連続6場所勝利:85勝(1977年9月場所 ~ 1978年7月場所)
◇ 幕内連続勝ち越し記録:50場所

◆ A Related Words :
北の湖理事長 福岡 病院 どこ/北の湖理事長 福岡 病院/北の湖理事長 病院 どこ/北の湖理事長 死去 病院/北の湖理事長 福岡市 病院/北の湖理事長 死因/北の湖理事長 病院/北の湖理事長 死去/北の湖理事長 家族/北の湖理事長 娘/北の湖理事長 略歴/北の湖理事長 プロフィール/訃報 北の湖理事長

Page Top

Mobile View / Desk Top