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元衆院議員 与謝野 馨 さん死去

2017年(平成29年)5月21日 死去 享年78歳

与謝野 馨写真 

元衆院議員 与謝野 馨 さん死去

政界随一の政策通として知られ、内閣官房長官、財務相などの要職を歴任した 与謝野 馨(よさの かおる)元衆議院議員が 2017年(平成29年)5月21日午前6時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。

明治・大正期の歌人、与謝野鉄幹、晶子夫妻の孫。中曽根康弘元首相の秘書を経て、1976年12月の衆院選挙で初当選し、通算10回当選。1994年、村山内閣(自社さ連立政権)で文部大臣として初入閣。以降、通商産業大臣、内閣官房長官、財務大臣など要職を歴任した。また、1976年にがんを告知され、何度も手術を繰り返し、最後は声帯を失うまで政治家としての人生を歩み続けた。2012年9月5日、政界引退を表明。

人物 / 略歴

与謝野 馨(よさの かおる、1938年(昭和13年)8月22日 ~ 2017年(平成29年)5月21日)

本名は旧字体の與謝野 馨である。

現:東京都千代田区に生まれる。政治家。勲等は旭日大綬章。

学校法人文化学院院長・理事。

衆議院議員(10期)、衆議院議院運営委員長(第50代)、文部大臣(第117代)、内閣官房副長官、通商産業大臣(第63代)、自由民主党政務調査会長(第46代)、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策、規制改革、男女共同参画、少子化対策)、内閣官房長官(第74代)、拉致問題担当大臣、財務大臣(第11代)などを歴任した。

父・秀(しげる)は、歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男。

◆ 略 歴

港区立麻布小学校卒業後、麻布中学校に進学。

父がエジプト勤務になったときは、カイロ郊外・ヘリオポリスのイングリッシュスクールに編入学。

帰国後、麻布高校に編入学。

1963年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。

母の知人・中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社。

◆ 政界へ

同じ勉強会のメンバーであった渡邉恒雄を通じて中曽根の秘書にならないかと誘いを受けた。

1968年、日本原子力発電を退職し、中曽根の秘書となる。

1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京都第1区から自由民主党公認で立候補するが落選。

1976年12月の第34回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補し初当選。中曽根派に所属する。

1979年の第35回衆議院議員総選挙で落選。

1980年の第36回衆議院議員総選挙で、トップ当選し返り咲いた。

以後、科学技術・通商産業関係を皮切りに、通商産業政務次官、自民党商工部会長、衆議院商工委員長などを歴任し、商工族、政策通として頭角を現す。

1994年、自民党が政権復帰した村山内閣(自社さ連立政権)で文部大臣として初入閣。

1996年、自民党単独内閣となった第2次橋本内閣では、梶山内閣官房長官の下で内閣官房副長官(政務)に就任。

1998年、橋本内閣の次の小渕内閣で通産大臣に就任。

通産大臣でありながら、所管外(法務省管轄)の通信傍受法成立に力を注ぎ、『噂の眞相』などに「盗聴法成立の黒幕」と批判された。

◆ 落選と小泉、安倍政権での活動

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で民主党の現職・海江田万里に敗れ落選。

2003年、第43回衆議院議員総選挙で、比例復活で3年ぶりの国政復帰。

2004年、自民党政調会長に就任し、小泉首相の進める郵政民営化に尽力。

2005年、第3次小泉改造内閣では、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策担当)に就任。

2006年、自民党税制調査会会長(安倍政権)就任直後の10月に口内に痛みを覚えるなどしたため入院し、11月には税調会長を辞任、療養生活に入った。

2007年4月13日の衆院本会議に出席し政治活動を再開した。

同年6月8日に発売された『文藝春秋』に寄せた随筆にて、喉頭癌による入院だったことを公表した。

2007年8月27日発足の第1次安倍改造内閣において官房長官に就任。

◆ 福田・麻生政権での活動

2008年8月2日、福田内閣改造により内閣府特命担当大臣(経済財政政策、規制改革担当)に就任。

麻生太郎内閣では経済財政政策担当相に再任した。

2009年2月17日、財務大臣並びに金融担当大臣である中川昭一が辞任に伴い、その後任に指名され、経済関連3閣僚を兼任することとなった。

2009年9月16日、麻生内閣総辞職により財務大臣を退任した。

◆ 野党時代

2010年4月7日付で離党届を提出。

2010年4月10日、平沼赳夫、園田博之らとともに、新党「たちあがれ日本」の結党を正式に発表した。

自民党党紀委員会は反党行為として、除名処分を下した。

◆ 民主党政権入り

2011年1月13日、平沼代表に離党届を提出、たちあがれ日本から離党。

2011年1月14日、菅第2次改造内閣にて、内閣府特命担当大臣(経済財政政策、男女共同参画、少子化対策)に就任し、社会保障と税の一体改革担当大臣も兼務した。

同年1月19日に無所属議員として衆議院会派「民主党・無所属クラブ」に入会し、再び与党議員となった。

与謝野の民主党政権参加には、除名処分にした自民党など野党から強く批判をされている。

2011年9月、野田内閣発足に伴い経済財政政策担当大臣を退任。

同月5日、衆議院会派「民主党・無所属クラブ」を離脱。無所属議員となった。

◆ 政界引退

2012年6月、体調を崩して約2ヶ月間入院。

咽頭がんの修復手術を受けたがその影響で声を失い、筆談での会話を余儀なくされた。

2012年9月5日、次期第46回衆議院議員総選挙への出馬をあきらめ、政界引退を表明。

2013年4月、功労により、旭日大綬章を受章。

がん研究会有明病院において気管食道シャント法と呼ばれる手術を受け、2013年暮れまでに声を取り戻している。

2017年4月30日、自民党の党紀委員会は与謝野の近年の同党への貢献を評価し、与謝野の復党を了承した。

2017年5月24日に関係者が死去を明らかにした。

2017年(平成29年)5月21日 死去 享年78歳。

特記事項

趣味はゴルフ、パソコンの自作、囲碁、写真撮影、天体観測、釣りなど多岐にわたっている。

囲碁の腕前はアマ七段で、政界最強とも評されている。

30年以上にも及ぶがんとの戦いは、2012年に『全身がん政治家』で本に著している。

◆ 親 族

◇ 曾祖父 - 与謝野礼厳 - 僧侶
◇ 祖父 - 与謝野鉄幹 - 歌人
◇ 祖母 - 与謝野晶子 - 歌人
◇ 伯祖父 - 鳳秀太郎 - 工学者
◇ 父 - 与謝野秀 - 外交官
◇ 母 - 与謝野道子 - 評論家、随筆家
◇ 弟 - 与謝野達 - 金融家
◇ 妹 - 與謝野文子 - 詩人、美術評論家
◇ 従弟 - 與謝野久 - 建築家
◇ 甥 - 与謝野信 - 2017年千代田区長選自民党系候補(落選)
◇ 長男 - 与謝野優 -東京海上日動勤務
◇ 次男 - 与謝野穣 -三菱グループ勤務
◇ 義父(妻の父) - 石川数雄(主婦の友社第2代社長)
◇ 遠縁 - 赤松克麿 - 衆議院議員

◆ 主な著書

◇ 「みだれ髪」 - 主婦の友社、1973年、 与謝野晶子著「みだれ髪」の復刊。ASIN:B000J98HUM
◇ 「堂々たる政治」 - 新潮新書、2008年、 ISBN 9784106102578
◇ 「国力会議」 - 祥伝社、2008年、 ISBN 9784396613075 - 麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸 共著。
◇ 「民主党が日本経済を破壊する」 - 文春新書、2010年、 ISBN 9784166607174
◇ 「全身がん政治家」 - 文藝春秋、2012年、 ISBN 978-4163750408

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